これが最後だ、と思った。 与えられた任務は今までとは多少違っていた。 編成されたメビウス中隊は、今までの戦いでどうにか生き延びた者たちの中から、それなりに腕のある者が選抜された。
一番機はもちろん自分である。が、出撃が始まれば、自分は一人別行動に移る。 「メガリスは、途中までぼくたちが作っていたものだ」 悔いているような表情だった。エルジア軍に命じられるより前に、シューティングスターという開発コードでその名の通りのものを作り上げようとしていたのだという。
「メガリスで衛星軌道上にある隕石を人為的に落下させる。燃え尽きなかった隕石はストーンヘンジが迎え撃つ。…そういう、計画で作られた」 その施設を占拠したということは、エルジアに残る将校たちは全てを無に帰すつもりなのだ。
彼らが、隕石を落とす。迎え撃つストーンヘンジはもうどこにもない。 そうして、戦争が終わるだろう。どらちにも勝者はなく、人は全て死に絶えるかもしれない。
「結局、俺はあんたが作ったものを壊してまわる運命なのかもしれないな」 「…そうだね。…そうかもしれない」 彼は悲愴な表情をしていた。作戦内容を聞いてから、どことなく落ち着かない。
「安心しろよ、もう誰もあんたの作ったものでは死なない」 「…そうかな。…そうだと、いいね」 作戦に入ると、自分は一人戦線を離脱する。そしてメガリスの内部へ突入し、ジェネレーターを破壊する。今回は、空を飛ぶのではなく、ミサイル搬入路を飛ばねばならない。
戦闘機で飛ぶには狭い場所だ。少しでも壁にこすれば、それは死を意味する。 「戦後には英雄が必要なんだそうだ」 「…あぁ」 「俺は戻る」
奇妙な気分だった。ほんの少し前まで、英雄のような扱いを受けるのが嫌で、尊敬の眼差しで迎えられるのが好きではなかった。 けれど、あの黄色13との戦いから―――そんな気持ちは、消え果てていた。
彼らの眼差しを、受けても何も思わない。それは感覚が麻痺しているのではなくて、何かが自分の中で変わった瞬間だったように思う。 自分の前を歩く人はいなくなった。彼はもう、自分の前を歩かない。
どれだけ求めても、その姿はもう空に見ることは出来ない。 最後の一瞬。勘違いかもしれない。見たと思っただけで、実際には違うのかもしれない。
けれどたしかに、自分はあの目を見た気がするのだ。彼の、物静かな瞳を。 (…あんただったらどうする?) こんな時。こんな作戦の時。
そう考えて、心は自然と落ち着いた。奇妙なほどに穏やかだった。 確実に自分は生きて帰る。 それを胸に刻むように、何度も何度も。
メビウス中隊が編成された。これでメガリスが沈黙すれば、ISAFの、連合軍の完全勝利になるはずだ。だがそのメガリスは巨大で、沈黙させるためには狭い搬入路を通過する以外にない。
これが最後になると、エルジア軍もわかっているだろう。 死にもの狂いになっているはずだ。そうでなければ、誰が考えるだろう。 全てを無に帰すなどと。
メガリスは、たしかに自分たちが作ったものだった。まだ完成はしていないはずだ。データは全て自分たちが消したし、作った頭脳たる自分たちは亡命した。 それでも、ミサイルを発射させる程度のことは出来るだろう。そのミサイルが、確実に隕石を落とすかどうかはわからない。
けれど確実に、彼らは発射させるだろう。もう正気ではないのだから。 そしてそのために、メガリスを破壊するのが彼だった。彼以外の者には出来ない。
ISAFの希望を一身に背負った彼は、その任務を受けてひどく穏やかだった。見ているこちらが不安になるほど。 「向こうも必死だろうな。…黄色中隊はいないが、それでも死を覚悟した人間は強い。怖いほど」
中隊が編成されたのは、敵機の目をそらすためだ。それは要するに、囮になるということだ。 腕はたしかにいいものが選抜された。けれど誰一人として、メビウス1にはかなわない。
だから、この作戦に出撃する者たち全てが、未帰還になる可能性があった。 そして今までのどの作戦よりもその可能性は高い。 整列した彼らメビウス中隊の全員が、彼の言葉を聞いていた。彼の姿を見ていた。
「いいか、俺たちはこれから危険な戦いに出る」 はりのある声が響く。他の音は聞こえない。 「だが、俺はおまえたちを死なせない」 不自然なほど、静かだと思った。彼の声以外の何もかもが、遮断されているようにすら思えた。
「だけど俺たちは絶対に、生きて還る。誰一人として殺さない!―――絶対だ」
「俺を信じろ」 血が逆流した気がした。言葉は喉に詰まって出てこない。何か、叫びたいような気がした。
それは中隊に選抜されたパイロットたちも同じだったようだ。 僅かの沈黙の後、皆涙しながら頷いた。誰もが、彼の姿に信じて頷くだけの力を感じた。
信じられるだけの光を帯びた瞳をしていた。 気がつけば、彼らはすでに各々の機体へ向かっていた。その後ろ姿には悲愴感はない。 ただ、選ばれたことを誇るような、そんな背中だった。
「凄いよ…」 知らず呟いた。 たしかに彼は英雄なのだ。仲間たちの中に、希望の光を灯らせてなお大きくすることが出来るだけの。
全員が、傍受される無線の声を聞いた。 「犬死にするな、生き残ってこそ英雄だ」
その言葉に、ただじっと拳を握った。それでもまだ全身を震えが走る。 これで最後。 この戦争が―――ストーンヘンジのために起こった戦争が、もうすぐ終焉を迎える。
それがどんな形で迎えるのか。それはわからなかった。 誰も殺さない、と宣言した彼は、その通りに素早く敵機を攻撃した。まずはすれ違い様に敵機を二機撃破。それから反転して目につく敵をかたっぱしから撃破していく。
そのたびに、基地では歓声が上がった。 数分後。彼らの無線から、ついにその言葉が聞こえた。 『後は俺達でやる。―――行け!』 メビウス1と最初から同じサインコールを持っていた彼だった。返る言葉はない。
だが脳裏に、彼が頷くのが見えた気がして、握った拳に力が入る。震えはいよいよ止まらない。 ほとんど祈るようにその両の手を、額に押し当てた。
生き残る確率は今までの中で一番低い。だけれども、彼は今まで何度も生き残ってきた。 ストーンヘンジを破壊し、黄色中隊を消した。 彼が灯したはずの光が消えないように。そればかりを祈った。
それから。 どれほど時間が経っただろうか。 やかましいほどの警告音が鳴り響いた。 何が起こったのかがわからず、一瞬絶望的な気分になるその音は、ミサイルへの扉―――排熱口が開いたことを知らせるものだった。
再び辺りが静まり返る。水を打ったような静けさだった。 生きて会うことは出来るだろうか。彼が生きて戻ってくることはあるのか。 空を飛ぶためのパイロットが、あんな狭いところで―――。
(そんなところで、死ぬはずがない) いつも気がつけば空を見上げていた。青い空も、夕日の沈む空も、星の浮かぶ夜空も、彼は好きだと言っていた。そんな彼が、あんな狭苦しい場所で死ぬことなんてありえない。
それでも震えは止まらない。早く。早く終われ―――と。 どれだけ願っただろうか。
大型ミサイルだと聞いていただけあって、そのミサイルは異常なまでの巨大さだった。それを破壊すると、見えた壁に慌てて機首を上げる。その先に見えたのは、たしかに空だった。
空へ、何も邪魔するもののない空へと戻れば、全てが夢だったように思えた。 黄色13と戦ったことも、今そこでメガリスを破壊したことも。 『俺達は勝ったのか…?』
どこかに、リアルさが足りない気がした。想像していた終戦とは、どこかが違った。 かといってそれを、たしかな形で思い描いたことがあるわけではない。
ただ、確かな証拠が欲しいと思った。 だから言葉もなくただその無線からの声を聞いた。レーダーにうつるのは全て仲間たちのもので、数は減っていない。
管制室では、聞こえてきたメビウス中隊の誰かの言葉に、静まり返っていた。
ミサイルの影は消えた。そしてそれからほんの一瞬後に飛び出してきた戦闘機に、全員が息を呑む。 それは、たしかに彼だった。 機体にリボンのマークを模した。エルジア軍に恐れられた唯一のパイロット。その彼が乗る戦闘機だった。
『俺達は勝ったのか…?』 相変わらず管制室は水を打ったように静かだった。そのうち、その無線からの声に答えるように司令官が。よく通る声で言った。
「それはわからん。…が、これだけは言える。英雄は確かにいる。俺達の目の前にな!」 その言葉に答えるように、彼の、メビウス1の機体が僚機の方角へと飛んでいく。その姿を、大型モニタがはっきりと映し出す。
―――それからはもうお祭り騒ぎだった。 勝ったのだ。彼が生きている。だから勝ったのだとわかって、周り中が喜んでいる中、自分は言葉はなく俯いて泣くばかりだった。
それでも顔は笑っていて、けれど涙は止まらない。 彼は生きている。やはり英雄だったのだ。もうずっと前から。 大空を飛びまわる、たしかな英雄がそこにいる。
死んで英雄にはならない。死んで伝説にもならない。彼は生きて、そして戻ってくる。この基地に。 この大陸全ての人の命を手に。 小さかった希望の光を、今大きく照らして、彼は戻ってくる。 ここに。
英雄の、メビウス1の機体は太陽の光を受けて、なお明るく輝いていた。
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