| 殺してよかった命などひとつもない。 「それで、どうしたんですか、その手紙」
「別に何も」 「返事はしないんですか?」 レールガンは、大気圏で燃え尽きなかった隕石を迎え撃つものだった。それ以上のものではなかった。けれど、その威力は凄まじく、どの軍からも脅威になった。
あれが奪われ、英雄になるべきだった先人たちがどれほど命を奪われただろうか。 「……するべきだと思うか?」 「さぁ…。ただ、家族同然の人間だったのでしょう、彼からすれば。その隊長は」
手紙が来た。戦争が終わってずいぶん経ってからだ。なんのために今頃それが来たのか、わかるのは、ただ一つ。 「彼は、俺からの答えなど望んでいない」
彼は答えなど望んでいない。ただ、言いたかっただけなのだ。自分たちの他の誰かに、黄色の13という人間を覚えておいてほしかったのだ。 「…そうかもしれない。だが望んでいるのも確かだ」
「…面倒だな」 「人間とはそういうものだ。あなただってそうでしょう」 たぶん、彼は手紙を出してからずっと、ポストを気にかけているのだろう。答えを待つために。そしてポストを覗き、返事がないことに安堵する。
そういう不安定な感情の中にいるのだろう。 「この長い手紙を見ればわかりますよ。彼があなたに何を伝えたかったか。本当に、よくわかる」 なんの飾り気もない便箋には、あの戦争の日々のことが、事細かに書かれていた。それこそその情景が思い浮かぶほど。見たこともないはずの彼らの日々が。
「人間だったな」 「はい?」 「俺が殺したのは人間だったな、と言ってるんだ」 そんなことはわかっていたことだ。傍受した無線の向こうから、撃墜した機体のパイロットの悲痛な叫びが聞こえてきたことを覚えている。けれど、彼らの家族や生活を、誰が想像しただろう。
「今まで知らなかったわけじゃないでしょう」 「…まぁな」 「まぁ、気持ちはわかりますよ。私も私の作ったあれで、一体何人殺したかと思うとあまり気持ちはよくない」
だからなるべく想像しないようにする。それくらいに、人の命の軽い場所なのだ、軍というところは。 こういった手紙が来ることは、珍しいことではなかった。
圧倒的不利にあった戦況をひっくり返して勝利をおさめたせいで、名前ばかりが先行したし、大空を飛ぶメビウス1という機体の名前は、あまりにも有名だった。
「黄色の13、か…」 「覚えているんですか?」 「覚えている。素晴らしかったよ、はじめて見た時は震えた」 「あなたでも」 素直に驚く彼の声に、苦笑する。
あの戦争中、無謀なミッションの中で毎回帰還するメビウス1を、誰もが奇跡だと言った。 あの頃の自分は、たしかにまだ新米のパイロットだった。訓練もそこそこの、決して戦果など機体されていないパイロットだった。
「あの頃、俺はまだ新米だったんだ」 「ああ、なるほど…。それはたしかに、大きく見えたでしょうね」 「逃げても逃げても振り切れない気がした」
黄色中隊の戦闘機が来ると、そのたびに震えあがった。彼らは、いつも要所要所の部分でやってくる。こちらが一瞬気をゆるめた瞬間に、一気に攻め込んできた。
あの戦闘機の中にどんな奴がいるのか。興味はあった。どれほど飛べばあんな無駄のない動きになるのか。こちらがどれほどの腕なのか、見破られていたかもしれないと思った。
「でも、ほら。褒められてたみたいですよ」 「…あぁ」 ストーンヘンジを落とした後のことだ。たしかにあの頃、周りがやけにうるさかったものだ。
「あなたのこと、知ってたんですね」 「………」 手紙の中で、自分のことだと思われる話は何度か出た。 「そして戦うことになったわけだ。…彼は人を見る目があった」
「死神にでも見えてたかもな」 「…彼は、あなたが来るのを待ってたんですよ」 対等になりたいとは思った。黄色の13。黄色中隊の隊長である彼のような飛び方をして、大空を自由に舞いたいと思っていた。
恋人を撃墜した相手に殺されるのは、本望だったか? 「彼は全力て戦える相手がほしかった。あなただってよく言っているじゃないですか」 その果てに死ぬのならば文句はないのだろうか。死は恐ろしくはなかっただろうか。
「ああ…そうか」 誰かと本気になって空を飛びたい。息もつかせぬような戦いを。肌の粟立つような空気を実感したい。 彼はきっと、本当のエースパイロットだったのだ。
だから空で死ぬことは喜ぶべきことだったのかもしれない。戦いの果てに死ぬことは本望だったかもしれない。恐怖がなかったわけではないだろう。それでも、楽しかったのかもしれない。
「…そうか、そうだな…。知ってたな、彼の気持ちを」 邪魔するもののない空の上で、戦った。自分はたしかにあの時、息をつめていた。彼が無駄のない動きでミサイルを避け、さらに背後にまわるのを見て、たしかに自分は手応えを感じていた。
いつもよりずっと強い、一瞬の隙すらも許さない感覚。その感覚を、自分はたしかに彼と分かち合ったのだ。 たぶん、わらっていた。お互いを称えながら。
「彼が、何を伝えたかったか。…わかりましたか?」 「たぶんな」 手紙の主は、きっと伝えたかったのだ。 黄色の13としか覚えていない彼の、その人の生き様を。どんな人生を送っていたのか。どんな言葉でどんな風に語ったか。
彼の中にあった、埋めがたい空白を。 「…いい奴だ」 「え?誰がです?」 「こいつだよ」 飾り気のない便箋をひらりと振って、笑った。
空を飛び、そこで死ぬことを求めた彼の中にある、孤独。 それはきっと、自分にもわからないだろう。 どんなに褒め称えられても、どんなに言葉を尽くしても、つかめないものが、そこにある。
「…そういえば今日は何日だ?」 「あなたね…軍の、しかも隊長なんだから時間管理はしっかりしてくださいよ」 やれやれといった様子で、彼がそばにあったカレンダーを指差した。
その日付けに、納得したようにゆっくりと立ち上がる。 「どうしたんですか」 「行くところが出来た」 「また悪い癖ですか?いい加減にしなさい」
「……命日なんだ」 手紙を、ゆっくりと胸ポケットにしまう。それから、出されたコーヒーの礼と共にその場を立ち去った。 残された部屋で、カレンダーをじっと見つめていた彼が、何かに気がついて天井を仰ぐ。 今日という日。
黄色の13を、彼が撃墜した日だった。 車に乗り込み、向かう先は黄色中隊が野戦滑走路として使った、あの自動車道だった。
道すがら考える。手紙をくれた男のことを。まだ幼かった彼の目には、一体どちらが敵としてうつったのだろう。自分か。それとも彼か。 慕っていた彼が空に消えた時。どう思っただろうか。
憎んだだろうか。悲しんだだろうか。後悔しただろうか。 わかるのは―――そう、黄色の13の。 どれほどの時間が経ったか。気がつけば目的の場所にたどり着いていた。道路の脇に車を止めて、そこから見える空を外から見上げる。
同じ空だった。 ふと背後に人の気配がした。振り返る気はしなかった。 手紙の彼かもしれない、と思ったが、ただ、じっと空を見上げる。 彼の埋められない孤独は空の形をしていた。どれだけ指を伸ばしても、どれだけ空を飛んでみても、空と一つにはなれない。指先に、空の温もりは感じられない。
それでも彼は、死ぬ前に自分と戦った。その孤独を一瞬でも忘れられた。 あなたは幸せでしたか。あなたは満足しましたか。 それは誰にもわからない。けれど、確かにわかるのは、もう孤独ではないだろうということだ。
誰にも埋められない孤独を持っていた彼は、あの時ようやく解放された。 そして、空のカケラになったのだ。
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