そらのかけら




 喧騒が耳に不快感をもたらす頃、ようやくその意味を知る。
 そうか、と自然にひとりごちた。
 終戦記念日だ。事の発端を思えば隕石の落下と、そして人の、科学の力と、それから弱さ。そういったもののために起きた、やはりくだらない戦争。それが終わってから十年。
 あれから十年が経って、当然小さな子供はメビウス1など知らない。しかし学校へと足を運ぶ子供たちくらいになれば、自分はいまだに英雄だった。そしてそれ以上の人間には、もっと英雄である。
 そういえばサーカスと言われたこともあった。
 どんなに無茶な作戦でも、必ず生きて帰還する。撃墜数はいつも人より多い。
 空で敵機を翻弄するさまはまるでサーカスのようだと称された。馬鹿馬鹿しいと思う反面、なかなか的を得ているとも思う。
 道を行けば、小さな子供がばたばたと走ってきた。ごっこ遊びだろう。決め台詞らしいものを得意げに叫びながら一団が駆けていった。そういう子供の遊びに、自分の名前はいまだに使われる。意味を知っているかどうかは別にしても。
 あの時の戦争は、たしかに馬鹿げて虚しいものではあった。一つの国対多国籍。それだけならば勝ち目はないように思う。が、その国が要したものはとんでもない化け物で、一体その化け物に何人の命が消えたか知れない。
 その化け物相手に自分は勝利したのだが。
 不思議とその化け物を破壊した時の高揚感には記憶がなかった。
 その後すぐに現れた、黄色の一隊のせいだ。物言わぬ要塞の、レールガンがこちらを向く恐怖を上回るものがあった。
 ふと足を止めた。商店街の店は祭りということで活気がある。まだ昼間だというのに飲んでいる者も多いようだ。陽気な声が往来に響く。歌を歌う者すらいるようだ。

 こちらが軍の人間だということは、店に踏み込んだ途端に気付かれたようだった。無理もない。自分が着ているのは空軍に支給されるものだ。
 このあたりで商売している人間としては、見慣れた姿でもある。だが店員は、笑顔を崩さなかった。むしろ嬉しそうでもある。
「おやアンタ」
「いい酒をもらえないかな」
「おお、英雄さんになら何でも出そうじゃないか」
「……知り合いと飲みたいんでね」
「そいつはいい。ならこれだ」
 上等なものだと思われるボトルが取り出された。いくらなのかとたずねれば、主人もやはりどこか紅潮した顔で笑う。
「英雄からは金をとれんなぁ」
「もう過去の遺物さ」
「それでも何も変わらんさ。英雄は英雄だ」
「…英雄だって単なる人間だよ。いくらだ?」
 自分の顔もすっかり知られたものだ。若すぎる英雄として、軍ではいささか持て余されているのだが。
 思えばあの戦争の時、自分はまだ新米パイロットにすぎなかった。適性もテストも、決してスバ抜けたところがあるわけではない。むしろずば抜けていた人間こそあの戦争でさっさと姿を消したのだった。
「英雄さんよ。今度何か話を聞かせてくれよ。息子に聞かせてやりたい。必ず約束してくれ。お代はそれでな」
「………あぁ、わかった。ありがとう」
 金を受け取る気のない主人の言葉に、一つ溜め息をついた。実際のところ時間もあまりない。腕時計に目を遣り、素早く時間の計算をした。
 どうにもせかせかしてしまうがしょうがない。ボトルを受け取ると、店を出た。
 空は霞がかかったような色をしていた。淡い青。湿度が少し高い。まだ季節は冬だというのに、ずいぶん暖かいと感じた。



 とぼとぼと一人、静まりかえった墓地を歩く。このプライベートな時間が終わったら、またいつかの英雄として表に出なくてはならない。
 軍人はただ戦場を駆ければいいと思うのだけれど、今となってはそれも許されない。あの戦いでの功績が、自分を気侭な一パイロットとしては扱えないようにしていた。あの頃はこんな日が来るとは夢にも思っていなかったけれど。
「よぉ、また来たぜ」
 呟いた。返事はない。冷たい石は、何も言わずじっとしているだけだった。
 生前にその男と会ったことはない。
 いや、会ったことならあるか。それは決して顔を突き合わせたわけではなかったけれど、あの高い空の上で、戦闘機越しに会って、そして最後にはわかりあっていた。
 ―――そう思っているのは、自分だけではなかったはずだ。
 手に携えてきたのは酒だった。さきほどの店で貰った上等の一本だ。花なんてものは用意してこない。毎年彼がこの時間にここに来ると、彼の墓には綺麗な花が添えられているのだ。
「知ってるか?もう十年だ」
 墓碑にはたしかに十年前の年号が刻まれていた。終戦直前。その時に彼は死んだ。
 この手で彼を、空で殺したのだった。
 後悔は、ない。
「最近、あんたの部下だった奴に会ったよ。あの時撃墜したのはどういう状況だったか聞かれた」
 この墓の下に眠る男の乗る戦闘機を撃墜したときのことは、はっきりと覚えている。
 黄色中隊との交戦を許可されたのはストーンヘンジ破壊後すぐだった。
 疲弊した身体に彼等との交戦は苦しかった。苦しかったが、極度に興奮していたのを覚えている。
 どれだけターゲットをロックオンしてもひらひらとかわされつづけた。
 素晴らしい技術だった。その中で唯一、動きの鈍い機があった。
 部下だった男は、それは黄色の4で、13の二番機だったことを告げられた。
 そして都市は解放され、撤退していくエルジアとの二度目の衝突。その時についに、黄色13を撃墜したのだった。最後まで残った機のことを覚えている。
 長いと感じられた巴戦だった。
 苦しい戦いだった。
 そしてそれを撃墜したとき。

 ミサイルは翼を破壊した。きっと脱出する。その思ったが彼はコクピットから出てくることはなかった。
 目に焼き付いたのは、その時の白い何か。
 あれが何だったのかは、いまだにわかっていない。
 しかしそれは確実に自分の脳裏に焼き付いた。そしてそれに目を奪われた一瞬の後に、機は爆破したのだった。
 燃え落ちる残骸を空の上から眺めるしか出来なかった。
 そして黄色の翼は青の空から消えた。その後も黄色の翼は現れはしたものの、それはメッキをはがしたような、落ち着きのない黄色だった。その翼の記憶を汚さないでくれと思ったりしたものだ。
「やはり貴方でしたか、といわれたよ。それから懐かしそうにあんたの話もしてた」
 持ってきた酒をあけると、惜しげもなくその墓にかけてやった。
 そういえばあの戦争での最後の出撃の後、生還した自分を仲間たちはこんな風に迎えてくれたのだった。
「アンタ、俺のこと知ってたんだなぁ。俺だけじゃなかったんだなぁ。…ちょっと嬉しかったよ」
 自分だけではなかった。
 あの空での苦しい巴戦。酷く長く感じられた出撃は、しかし時間にしてみれば数分にも満たない。
 その時に感じた充足感。十年来の友人と、語り明かしているようなそんな気分だった。
 空が好きだ。その空を、まるで切り取るように疾走するのが好きだ。
 上に上がればたった一人。
 その孤独が好きだった。
 そして出来ればこの空の一部になりたいとすら思えて、どうせならばお互いの手でそうなりたかった。誰にも告げたことのない言葉だ。死にたかったわけではない。
 あの時それがかなったのは、この墓の下で眠る彼だけだった。
 自分はたった一人残されて、喧騒の残る地上に立つ。英雄として。
 彼は、たった一人、静かに眠りに就いている。誰にも邪魔されることなく、静かに。
 しかし羨ましいとは思わない。
 ありったけの酒をかけ終わると、からになったボトルを墓の前に置いた。
「…また来るよ」
 一年後、またこうしてくるだろう。
 英雄としてではなくて、ただのパイロットとして。
 語り合える友として。

 墓碑には、彼の名が記されている。名前などよりも、自分の頭には彼は「黄色の13」でしかなかった。それが少し、寂しくもあり、誇らしくもある。


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お題「墓碑銘」。