星を墜とす

「忘れているのか?」
 通信機越しに聞こえてきた声に、思わず眉を顰めた。
 聞こえてきた声は、サイモン・オルステス・コーエン。ニューコムの科学者連中の中でも一番人を人とも思っていない輩だった。
 顔つきからして、彼が人間を、いや、自分も含めた他の何もかもを研究対象と見ているのがわかる。命の重さに気づかない目をしていた。
 テレビで一度見たのと、ニューコムに移籍することになった時に見た程度の奴だった。
 それが今、ディジョンを倒す瞬間に力を貸しに来るとは思わなかった。
「………」
「…そうか、それならそれでもいい」
 彼の呟きがどういう意味かはわからなかったが、言葉そのものが自分に向けられたことはわかった。
 忘れている?何をだ。
 サイモンの言葉に気をとられていた瞬間、目前をディジョンの乗ったUI-4054、通称オーロラと呼ばれる機体が横切った。
 黒いその機体に、現実に引き戻される。
 ああ、そうだ。今はディジョンを。シンシアを引き込んだあの男を墜とさなければ。
 レーダーにうつるフィオナの機体。オーロラはかなり速い。ニューコムの機体に乗る自分たちも速いはずだったが、そんなものは目ではなかった。
 何をしたかったのだろう、と思う。
 ディジョンは、ウロボロスを作って、何をしたかったのだろう。
 そもそもなぜ彼はサブリメーションの実験体になったのだろう。どうして彼は、身体という器を嫌ったのか。
 人であることを嫌い、データの世界へ身を投じたのか。
 そんなに現実の世界は辛かっただろうか。そんなに衰えることが怖かったか。
 そんなに空は手放せないものだったのか。
 それならどうして、こんな地下都市に逃げ込む必要があった?空が飛びたいのなら、無限の空の下を飛べばよかったのだ。
 こんな、狭苦しい場所で…何が出来る。
「………」
 そうだ、だから自分はUPEOに行ったのだ。制限はあっても、数字の世界から抜け出せる。
 そう思ったから。
 …どこからどこへ行ったって?
「   !!何やってるの!」
 フィオナの声に、自分がディジョンを追うことを放棄しかけていたことを知った。慌ててレーダーを確認する。
 地下都市ジオ・フロントの、かなり南にディジョンがいた。
「…悪い。今から行く」
 ああ、でも。
 どこから来た?自分は、UPEOに来る前。
 エリックは、親に勧められてパイロットになったと言っていた。フィオナは聞いても答えてはくれなかった。シンシアが、なにか関係しているのかもしれないとニューコムに移籍した頃に思った。シンシアについては聞く間もなかった。
 レナは小さな頃からその潜在能力をゼネラルに認められたのだったか。テレビでそういっていた気がする。
 じゃあ、自分は。
 誰かに言われてUPEOに来たのだろうか。自分の意志で決めたのだったか。
 そもそも昔の自分がわからない。
 記憶にあるのは、UPEOでレナやフィオナの真似をして飛んでいたところからだ。
 親はどうしたのだったか。学校は?どうやってパイロットになると決めてUPEOに入った?
「………」
 指先が、冷えていった。記憶がない。
 パイロットなんて稼業をしている以上、過去のことを振り返る時間などないと思っていたが、自分の場合は、振り返るべき過去がない。
 どこで生まれたのだったか。両親は誰でなんという名前だったか。
 そもそも、自分の名前は。
 その瞬間、ディジョンの乗るオーロラをとらえた。
 言葉はなかった。ほとんど条件反射に近かった。
 ミサイルを発射する。逃げるディジョンを追撃して、ロックオンする。
 その間、頭の中は真っ白だった。
「ディジョン!!」
 フィオナの声が聞こえた、と思った瞬間には、ディジョンの乗るオーロラが煙をあげて地下都市へ落ちていった。
 地上よりも空に遠い場所へ。


 フィオナはニューコムを辞めた。シンシアのこともあったし、そんなところでは働きたくもないだろう。それに、空を飛ぶたびにシンシアのことを思い出すだろう。
 死に急ぐよりはいいと思ったから、反対はしなかった。
 反対するほど余裕がなかったというのもある。
 サブリメーションにとり憑かれていたシンシア。最期にヨーコという名前を叫んでいたディジョン。ウロボロスの一人としてレナがテレビでやたらと見かけるようになった。彼女は空にでもとり憑かれていたのかもしれない。エリックは今ごろどうしているだろう。
 ニューコムで割り当てられた部屋の中、ぼんやりと辺りを見渡す。
 自分は、どこからきてこれからどこへ行くだろうか。
 そんなことを考えていた時だった。
 つけっぱなしにしていたテレビが自動的に切り替わって、ビデオメールが来たことを告げる。
「シンシア…!?」
 慌ててモニターに近寄れば、それは自分にあてられたものではなかった。
―――あなたは信じないでしょうけど。身体という器を消してくれてありがとう。エレクトロスフィアは本当にあって…すばらしい。
 自分に向けられたビデオメールではなかった。けれど、シンシアの言葉に、脳天を打たれたような衝撃を受ける。
 そうだ。たしかにエレクトロスフィアはある。
 そこでは老いることもなく、精神のみでその場に在りつづける。
 生きることも死ぬことも、その世界では無に等しい。
「………思い出した」
 どうして自分がそんなことを知っているのか、疑問に思う必要など何もなかった。
 自分の過去のことも、何もかも。
 部屋を出た。手には銃を持っていた。人に会うことはほとんどない。
 不気味なほどに静かな廊下を、自分の足音を聞きながら歩く。
 あの世界では、足音もしない。自分がそこにいる証拠は、自分の精神のみだ。
 そんな世界で、空を飛ぶ夢など持てるわけがない。
 それから、ゆっくりと一つの実験室に入った。抵抗もなく開くドア。その奥にいるのは―――。
「…思い出したか?」
 伺うような視線。視線に含まれた研究対象に見せる独特の笑み。
「………」
 思い出した。
 ゆっくりと、銃口をサイモンに向ける。サイモンのぎょろりとした目が見開かれた。
「…何を考えている?ん?」
「…別に」
「私はおまえを作ってやった。いわば父親のようなものだ。殺せるか?この世界では殺すことは犯罪になるぞ」
 エレクトロスフィアでは、そもそも殺すという概念がない。身体のないその世界では、そういったことはなかった。ただの穏やかな世界だ。
「…俺はもう何人も殺してるよ」
「戦闘機を使ってな。その手で、トリガーをひいたことはないだろう」
 その通りだった。けれど、それがなんだと言うのか。
 今にもトリガーをひきそうなのを見て、サイモンは更に言葉を連ねた。
「こんなことをしたら、もう空を飛ぶことは出来ないぞ」
「…それが脅し文句か…?」
 笑いが込み上げてきた。こんな奴に作られたのだ、自分は。
 何が目的だった?ゼネラルとウロボロスと、そしてUPEOの壊滅か。なんの目的があって作られて、なんの目的でUPEOへ行ったのか。
 どうでもよかった。
「おまえはエレクトロスフィアよりもこの世界に憧れた。そうだろう、だから私が外へ出してやったのだ。空を飛ぶのが夢だったのだろう」
「…違う」
 呟いた瞬間に、指に力を込めた。
 銃声が、研究室に響いた。血飛沫があがって、顔の半分を赤く染める。
 サイモンは、そのぎょろついた目を見開いたまま絶命していた。糸の切れた人形のような姿に、なんの感慨も浮かばずにコンピュータへ向かう。
「…俺は空を飛びたいなんて言ってないよ」
 誰にともなく呟いて、キーを叩いた。
 エレクトロスフィア。電脳空間は、完全ではない。
 その世界は、たった一度きりのハッキングで全てを失う。完全にはなり得ない。

「…俺は、墜とすために生まれたんだ」

 だから、消す。生まれた故郷はなくていい。そんな世界は故郷ではない。
 シンシアの言葉が思い出された。素晴らしい世界。そんなものは、ほんの少しの間の戯れ言だ。
 そう気づく前に、墜としてあげよう。
 データの消えていくのを見つめながら、ふとシンシアの悲鳴を聞いた気がした。
 素晴らしいのは、無限に続く空。どこまでも深い闇の宇宙。そしてその中で、ほんの少しの奇跡で生まれたこの星。
 生身の身体。

 だから、墜とすのだ。人の力で、無理矢理に生み出されたこの、自分が。



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このタイトルって、AC的には4のがいいと思うんだけどね…。実際の星じゃないです。
どうしてもニューコムEDにいたたまれず。だからってこれもどうかと思うんですけど、それでも私の中では一段落したような気がしないよーなするよーな(どっちだ)。