不自由な翼



 フィオナの死は、スパイとして扱われた。UPEOのパイロットとしてしてやれることは何もなかった。
 あの雪深いランバート山脈の中で、フィオナの遺体は回収されるだろうか。
 昨日まで、彼女が死ぬという現実が目の前に転がり込むなど想像もしなかった。
 あんなあけすけな物言いをする彼女が、スパイだったなどと誰が信じることが出来るだろう。
 フィオナたちの乗る飛行機にジャミングがかかった。護衛にしては少なすぎたメンバー。突然突きつけられた、真実かどうかも確認出来ない既成事実。
「…レナらしい」
 ぽつりと呟かれた言葉に、エリックは顔を上げた。ほんの少し前にレナとはネットフォンでやりあった後だった。あの状況ではたしかに事実を確かめることは不可能だった。
 自分たちはただのパイロットで、命令を下されればその指示の通りに動くしかない。
 あの時は、そうするしかなかった。命令違反をすればパイロットとしての資格は失われる。
「…何が?」
「レナ。…言葉が足らない」
 フィオナが死んだことを、まるで知らないような様子で笑う彼に、エリックは鋭く睨みつけた。
 知らないはずがない。あの一瞬は、自分たちはたしかにそこにいて、落ちていく専用機を眺めたのだ。
「翼をなくさないため、なんて言葉でエリックが納得出来るはずないんだけど…一人でいることが多かったからかな」
 太陽の光を直接浴びることの出来ないシルバーストーン病にかかっているレナは、昔から一人でいることが多かった。外に出る時は必ず防護服を着用しなければならない。
 そんな彼女が、太陽の光に憧れて、そしてパイロットになった。まともに外に出られない彼女が、大手を振って外へ行けるのは、パイロットとして空を飛ぶ時だけだ。
「…だからって俺は、納得したくない」
 空を飛ぶあの快感が、わからないわけではない。でなければ親の勧めだからといってパイロットになんてなる気はなかった。
 パイロットとしてUPEOに入ったのは、空を飛ぶ快感を忘れられなかったからだ。
「……かなしい…か」
 どこか傍観者のような響きのこもった声に、エリックはかっとなって掴みかかった。自分と大して変わらない身長の男の胸座を掴んで、今までにないくらいに叫ぶ。
「仲間だったんだぞ!?昨日まで元気にしてたんだ、なのに…ッ!!」
「…だけどもう死んだ」
「どうしてそんなに冷たくなれるんだよ、悲しくないのか!!」
 叫ぶ自分の声に、エリックはどんどん虚しさを覚えた。
 手応えを感じられない気がした。そこにいるのは人ではなくて、人形のような気すらした。
 だから、エリックはすぐに彼を解放した。一人でこんなに熱くなっている自分が馬鹿らしい。
「…人は死んだら…それだけだろ」
 ぽつりと呟く声に、エリックは首を振った。
 仲間だと思っていた奴の、そんな言葉が理解できない。
「悲しむことが出来るのは、生きているからだ」
「…黙れよ」
 何が正しいのか、よくわからない。ゼネラルとニューコムの仲が悪くて、UPEOはその間に立って事態の沈静化につとめることが使命だったのではないのか。どうして仲間がスパイになって、そしてそれを自分たちが手を下さなければならなくなったのか。
「…死んだ人間には、もう何もしてやれない」
「黙れよ!じゃあおまえは誰が死んでも悲しまないのか!何もしてやれないで終わりか!?」
 一人で何を熱くなっているのだろう、と思う。
 レナはフィオナの命よりも自分の翼を選んだ。彼女を助けることよりも、自分のために。
 目の前のこの男も、レナと同じような人種なのだ。人が死んでも悲しみもしない。痛みもない。
 落ちていく専用機の、あの鈍い動き。山脈の中へ黒煙をあげて消えていく機体。
 自分のこの目に、焼き付いて離れない。それらを、まるでなかったことのように扱える。
 レナもこの男も、そういう人間なのだ。そんな奴を、仲間だと。
「悲しむことは悪いことじゃない。俺たちはフィオナが生きていたことを忘れない。俺たちが出来ることはそれだけだ」
「それで割り切れる事か…!?」
「割り切れと言ってるんじゃない。ただ、空にいる時は引きずったら危険だ。死に近づくだけだ」
 言われた瞬間に、エリックは唇を噛んだ。
 突然目の前の男が、自分を抜いてUPEOのエースになった理由がわかったのだ。
 自分よりもずっと素早い状況判断と、この冷静さ。自分にはないものだった。いつも何かをする時に迷ってばかりの自分には。
「…俺…さ」
 俯いたきり、顔はあげられなかった。
 心の中に、レナのように拠り所として確立しているものがある人間は強い。それを守ろうと必死になるから、信じられない力を生む。
「…フィーのこと、気になってたよ」
「……」
「レナのことも、気になるよ。…俺は迷ってばっかりだ」
 否定するばかりでフィオナの命のかかった瞬間、自分は何も出来なかった。
 ただ、レナと。今ではもうUPEOのエースと呼ばれるようになった彼の間の少ない会話で成立したやり取りを、見守るしかなかった。選ぶことが、出来なかった。
「迷えば、いいんじゃないか。…迷うためには、生きなきゃ駄目だ」
「…そう…か?」
「今の状態でフィーに会っても横っ面はたかれるだけだ」
 真実は聞き出せないまま彼女の命は消えてしまった。手を下したのは仲間で、仲間である彼女は自分の翼を失いたくないと言っていた。
 彼女の言葉を理解することは出来ない。人の命よりも重い翼なんてあるものか。
「……フィーだもんな」
 気を抜くと、聞こえもしなかったはずのフィオナの悲鳴が聞こえる気がした。けれど、彼女がそんな声をあげたか、知る者はもういない。
 真実を聞くことも、語ることも出来ない。
「何が正しいとか悪いとか、…俺はただのパイロットだから知らない」
 何かが変だと思っても、こんなところでくすぶる以外のすべを知らない。
「……たぶん、もうすぐ次の指令が来るな」
 たった一人、平和のために働きかけることの出来る人は、フィオナと共にあの山脈に魂ごと消えていった。現状が、ひたすら悪い方へ進んでいることだけはわかる。
「…あぁ」
 押し殺した声で頷く。自分たちは、UPEO治安維持部隊の中の、飛行部隊の人間だ。SARFとして、指令があれば動く。どんな時でも―――こんな時だからこそ。
「…エリック」
「ん?」
「俺、次の出撃がきたら、八つ当たりするかもしれない」
 普段、静かな男の言葉に、エリックは眉をひそめた。意味が掴みかねた。
「…敵が誰でも構わない。けど、レナを責めるわけにはいかない。あの状況ではどうしようもなかった。…だから」
 途端に、モニターに緊急指令のメールが届く。注意を促す赤い画面。
「…いいのかよ?」
「わだかまりなんてない方がいい。最善の方法だ」
「…自信満々に言うことじゃないだろ」
「エリックは?乗るか、乗らないか」
 緊急出撃のミッションは、ニューコムの高々度攻撃機の撃墜だった。ゼネラルの空軍基地へ向けて出撃するらしい。それを、自分たちは食い止める。
「…こういうことは口にしない方がいいんじゃないか?」
「誰にも言わなければいい」
「今、俺に言っただろ」
「エリック以外には言わない」
 即答で返ってくる言葉に、エリックは思わず頭を抱えた。
 こんな奴だっただろうか、と思う。そういえば、あまりこの男がどんなことを考えているか知らない。  
 ディジョンに誘われても無視をした。あれはフィオナに止められたからだと思っていた。
 上昇志向の薄い人間なのかもしれないと、その時は思った。
「…なぁ、おまえどうしてあのディジョンの誘い断ったんだよ」
 アビサル・ディジョンという名前が、ゼネラルのエースとして名を馳せた人間である以上、パイロットをしている身としてはその人に声をかけられるというのは、これ以上ないほどの喜びではないだろうか。
「ディジョンって、レナのプロデューサーなんだって知ってた?」
 出撃の命令が下っているわりに、エリックはやけに落ち着いていた。今までの中で一番落ち着いているかもしれない。
 目の前で、ぽつりぽつりと呟く彼も、落ち着いていた。少し上目遣いに肩を竦めて、笑う。
「レナって、言葉たりない。…表現の仕方がちょっと面白い、っていうか」
「…それが理由なのか?」
「そんな風にしかプロデュース出来なかった奴のところになんて、いきたくないから」
 フィオナは知っていただろうか。彼がこんな理由でディジョンの誘いを蹴ったことを。
 わりに正義感の強かったフィオナのことだから、UPEOのパイロットだから当たり前の選択だと思っていたかもしれない。
「…レナが全然違う性格だったら乗ってたってわけか、それ」
「もっと悩んだな」
 肩を竦めて、立ち上がる。
 こんな奴だったなんて、一体誰が知っていただろう。
 生きている人間に出来ることは、死んでしまった人間を忘れないでいることだ。
 そんなことを、理屈でなく実行できるほど、自分はまだ達観も出来ていない。どれだけ考えても、ひきずるだろう。
「あのさ…乗るよ、八つ当たり」
「わかった。………じゃあ、上で」
「ああ」
 どうせ引きずるとわかっているなら、八つ当たりだとわかっていても内に込めるよりはいいいかもしれない。
 忘れることなんて絶対に出来ないあの瞬間のあの光景は、いつまでも記憶に残るだろう。
 それでも、パイロットを辞めてこの場を立ち去ることは出来ない。
 幸運だったのは、彼女の死体を見ずに済んだことだ。これから、もっと現状は悪化していくだろう。それこそ、病気のように。
 遠いところに行ってしまったフィオナに、笑われることだけは嫌だったが、パイロットを辞めて戦線離脱するのはもっと嫌だ。
 何がしたいのかは、自分はまだわからない。今はもう、ただの飛行機乗りでいるわけにもいかない。
 それなら、もう、逃げない。
 エリックは、自然と拳を握りしめていた。行き着く先もわからない。このままここに止まっていていいのかもわからない。自分がすべきことなど、まるでわからない。
 けれど、それがわかるまで、自分はもう逃げない。

 それだけを胸に、空へ。


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エリックがわりと気楽に話せて、一緒に行こうと思える男ってどんな奴かしらと考えながら書いていたので、主人公の性格設定が微妙です。書いていくうちに、なんか黄13みたいに見えたり(笑)。
あーちなみにエリックはもっと可愛いんですよ…?(爆)。