試合


 試合が行われることになった。
 騎士団は試合前ということもあって盛り上がっている。
 もちろんそれはマイクロトフも同様だった。酷く心臓が鳴っている。
 身体の中で、血の流れる様が手にとるようにわかるのだ。
 まだ年若いマイクロトフははじめてこの試合に出る。緊張に近い高揚感があってもしょうがないことだ。
 そんな中を、自分と同じくらいの年齢の男がすっと通りすぎた。
 彼も試合に出るのだろう。きちんと正装をしている。
 思わず通りすぎた男をもマイクロトフは呆然と見送ってしまった。
(…落ち着いている)
 綺麗な顔立ちをしていた。あまり見たことのない瞳の色だった。
 しかしそれよりも気になったのは、思わず見送ってしまったのは、その落ち着きようだった。
 周りの者は誰も彼も皆盛り上がっている。
 大声で話しあっている者や、落ち着かないのか廊下をうろうろ歩いている者や、ひっきりなしに自分の剣の確認をしている者。
 そんな中で彼の存在は不思議なほど落ち着いていた。
(…俺も、落ち着かねば)
 そう思って、マイクロトフはゆっくりと深呼吸をした。ひんやりとした空気が肺に流れ込む。
 少し体温を奪われたような気分になって、小さく身震いをする。
(…駄目だ)
 今ので余計に悪くなった。血の気が失せていく。
 練習で剣を振るうことは多々あった。あったが、公式の試合はこれがはじめてなのだ。
 緊張するのは当然のことだ。
 だがマイクロトフは、さきほどのあの男のあの様子を見て、それが当然のことだということを忘れてしまっていた。
 躍起になって落ち着こうとする。
 そいこうしているうちに、外で歓声が聞こえ始めた。
 試合が。
(始まったのか…)
 歓声に混じって聞こえてくるのは、剣を弾く音。
 その音が聞こえ始めても、マイクロトフの緊張は解けなかった。
 指の先に血がかよっていないようにすら思える。息をすると冷たい空気が身体に入り込みまるで自分のものではないように感じられた。
 腰に下げた剣がやけに重い。身につけた正装がさらに身体に圧力をかけている。


「マイクロトフ!」
 名前を呼ばれて振り返ると、同じ青騎士の仲間が何人かで手招きをしていた。
「すごいぜ、来いよ!」
 できれば今は自分のこの緊張をほぐすことを考えたかったが、断れないままマイクロトフは彼らの方へ向かった。
 走る足がもつれるのではないかと内心でひやひやしながら駆け寄る。
 彼らがいる場所からは、ちょうど行われている試合が見下ろせる。格好の場所だった。
「あの赤騎士。すごいぜ」
 言われて下を覗きこめば、ちょうど激しい金属のぶつかる音がした。
 そしてそこで剣をふるっていたのは。
「あいつ!」
「なんだ知ってるのか?」
 思わず叫んだマイクロトフに、周りが少し驚いた。
 問われてようやく自分が声に出していたことに気づく。
「あ、いや知ってるわけでは…」
 あの落ち着き払った態度で通り抜けていった男は、今まさに試合を終わらせたところだった。
 正確に相手の剣を叩き落とし、戦意を喪失させる。
「あいつこのまま決勝までいくんじゃないか?」
 そう思われても仕方のないほど、彼の動きは正確だった。マイクロトフも実際、彼なら決勝へいくだろうと思った。
(強さの余裕、か…?)
 自分の剣技に自信があるからこそのあの余裕だったのだろうか。
 だとしたらそれもうなずけた。
 そして微妙に自分の中で妙な感覚が生まれた。
(…たたかってみたい)
 彼の前で自分はどれだけ通用するか。勝てるのか、負けるのか。
 確かめてみたいと思った。妙な気分だった。
 さきほどまでと違う高揚感。
 勝とう、と思った。
(たたかいたい)
 彼と。そして知りたい。自分がどれほどの力を持つのか。
「もうすぐマイクロトフの番だろう」
「―――あぁ」
「行ってこいよ」
 血の巡りは相変わらずいいとはいえなかった。ただ、最初と違うのはその気持ちだ。

(勝つんだ。勝って、あいつと)
 長い廊下を走る。自分の足音がやけに響いているように感じる。
 それでも早く少しでも早くと足を進めた。
 戦いたい。彼と。
 それだけだった。


 それこそ力任せに、マイクロトフは相手の剣を叩き落とした。
 転がって降参を告げる対戦相手を前に、マイクロトフは微妙な表情になる。
 理由は簡単だった。
(違う)
 転がった剣を見つめ、降参を告げる相手を見て。
 やっていることは結局あの赤騎士の男と何も変わらない。
 だというのに、どうしてこんなに差が出るのか。それがわからなかった。
(何が違うんだ)
 すでに苛立ちにも等しい気持ちで、マイクロトフは石の壁に向かって拳を突き出した。
 鈍い音がした。そしてその後にじわじわと響くような痛みが続く。
 周りの者も、マイクロトフの様子がおかしいのに気づいているらしく誰も近寄らない。
 また試合が始まった。そしてそこには彼がいた。
「………」
 少し離れた位置のここからでは人垣で試合は見えない。
 だが聞こえてくる音だけで、今どういう状況なのかがわかった。
 ここまでくるとすでに相手も一筋縄ではいかない。いつもよりてこずっているのが、音でわかった。
不思議なことに、彼の剣の音すら聞き分けられた。
 ―――たぶん、意識しすぎているからだ。
 そう思ってマイクロトフはゆっくりと試合の見える位置に移動した。
 予想していた通り、彼は少し苦戦しているように見えた。
(……え?)
 マイクロトフの心に疑問が生じた。
 その瞬間、彼の相手が剣を落とした。その首に向けて剣の切っ先を向け。
「…降参だ」
 相手の口から、苦々しくその言葉がもれた。
 決勝進出だ。
 彼が勝ったことに、周りが興奮していた。
 それもそのはずで、相手だった男は今まで何度となくこの試合で勝利してきた人物だったからだ。
 迎えられて退場する彼を見ながら、マイクロトフは一人で戸惑ったように視線を泳がせた。
(誰も気づかなかったのか!?)
 勝負がつく一瞬前。
 誰がどう見ても、彼は負けていたように見えた。
 あの瞬間。
 ―――わらった。
「マイクロトフ」
 仲間に呼ばれて気づけば、今度は自分の番だった。
 これに勝てば、彼と戦える。
 頭の中がぐちゃぐちゃだった。あの笑みの理由はなんなのか。
 騎士の礼儀に則って、一礼をする。決まりごとを済ませ、そしてマイクロトフは構えた。
(―――今は目の前のことに集中しなければ!)
 激しい音と剣の柄を握る掌に響くその感覚に、ようやく意識が戦いの方向へ戻った。
 慌てて呼吸を整えてマイクロトフは相手の突きにあわせるように剣で防いだ。
 しばらく相手の隙をうかがいながら、そして―――。
 ふと気がつくと、相手の肩越しに彼がいた。
「―――ッ!!!」
 声になるより早く、マイクロトフは目の前の男の剣をなぎ払った。
 マイクロトフの形相に驚いたのか、相手は切っ先を向けられるより早く降参を叫んだ。
 気づけば戦いは終わっていて、決勝に進出ということになっていた。
 ―――ようやく、だ。
 あの笑みを見て。そしてその後、試合中にこちらを見る目を見て。
 怒りのようなものが込み上げた。怒りに任せて剣を振るった。
 感情が普段よりも暴れている気がした。マイクロトフは、いまだに怒りのようなものがおさまらない自分に対して困ったように壁にもたれた。
 周りには仲間たちが駆けつけ、決勝へあがったことを喜んでくれている。
 が、いつもならば一緒に笑って喜ぶところを、どうしても笑えないまま曖昧な答えを返していると、突然辺りが騒々しくなった。
「やぁ」
 顔を上げれば、彼が、じぶんの目の前に立っていた。
「………」
「次の試合。よろしく」
 あの一瞬の笑みとは違う、穏やかな表情を見つめながら、いぶかしむようにマイクロトフはだんまりを決め込んでいた。
「それじゃあ」
 何も言おうとしないマイクロトフに苦笑しながら、彼は踵を返そうとした。
「名前!」
「え?」
「…名前、なんて言うんだ?」
 マイクロトフの怒ったような表情に、彼は肩を竦めて答えた。
「カミュー」
 それだけ言うと、カミューは行ってしまった。
 その後を呆然と眺める仲間たち。
(あの余裕は)
 ふと、この苛立ちの正体を掴んでマイクロトフは拳を握り締めた。
 震えのようなものが走った。
 その瞬間。決勝の始まるファンファーレが鳴った。


 マイクロトフの剣を、カミューは綺麗に受け流した。
 こうして実際に剣を交えてみて。マイクロトフは自分の苛立ちの正体の予想が外れていないことを悟る。
 猛烈に突っ込んでみても、カミューはそれを受け止めようともしないで受け流す。
 カミューの目からは、この試合への熱意が感じられない。
 たぶん、今までもずっとそうだったのだ。そして一瞬の隙を突いて、全ての対戦相手に勝ちつづけてきていて。
 真面目にやっているのかがわからないのだ。
 それは今でもそうだ。カミューはマイクロトフの繰り出す剣を見事に避けて。
 でも自分から決定的に攻撃してこない。
「カミュー!」
 思わず、といった様子でマイクロトフが叫んだ。
 名を呼ばれたカミュー本人は少し珍しげに視線を向けた。
 もちろん彼らは動きを止めることはしない。激しくやりあっている。
「本気になれ!」
 言われた瞬間。カミューは素早くその場を飛びのいて、マイクロトフとの間合いを広げた。
 だがそれもすぐにマイクロトフの攻撃で狭まる。
 つばぜり合いになるほどお互いの距離が近くなった瞬間、カミューはマイクロトフの目を覗き込むようにして、マイクロトフ以外の誰にも聞こえないほどの小さな声で、ささやくように言った。
「私が本気になったら君は死ぬよ」
 その言葉に、マイクロトフは目を見開く。カミューは、わらっている。
「…やれるものならやってみろ!」
 その唸るような叫びと同時にマイクロトフとカミューは間合いをとるように飛びのいた。
「言うじゃないか」
 面白そうに言ったカミューが、剣を持つ手に微妙に力をいれた。
 そして次の瞬間。
 再び激しい音がして、剣がぶつかりあう。
 火花が飛んでいるようにも見えた。
「これは神聖な試合だ!」
 マイクロトフが叫ぶ。このカミューに対する苛立ちは、全てはそこから来ていたのだ、と。
 戦う前のあの瞬間にようやくわかった。
 本気を出さずに勝っていくカミューに、試合を汚されたように思えたのだ。
 これはマイクロトフにとってははじめての戦いで、だからこそ余計にそう思う気持ちが強かった。
 だがそれをカミューはどこか馬鹿にしたように笑った。
「試合なんて」
 その言葉が、最後だった。
 耳に響く、金属の高い音がして、マイクロトフの手から剣が弾かれた。
 マイクロトフは呆然とカミューを見上げた。弾かれた衝撃で指が痺れている。
 カミューは、悠然と微笑んでいた。
「私の勝ちだね」
 向けられた切っ先のその鈍い光に、マイクロトフは息をのんだ。
 一瞬後、カミューの名が叫ばれ試合は終わった。勝利を祝う赤騎士たちに囲まれるカミューを、マイクロトフはまだ見つめていた。
 どうしても、気になることがあったのだ。



「なぁカミュー。あの最初の試合の時、なんて言ったんだ?」
 マイクロトフはだいぶ昔のことをいまだに覚えていて、暇になるとよくその話題を持ち出した。
 カミューとしてはいいかげん忘れてほしいことである。
「さぁ、なんだったのかな。もうだいぶ前のことだからね」
 だから、毎回そう言って逃げていた。
 マイクロトフもそのたびに「そうだよな」と呟く。
 あの試合以来、二人はなんとなく意識しあうようになって今に至っている。
 そしてマイクロトフは、あの試合の頃のまままっすぐに生き続けている。だからこそ、教えてやる気にはなれない。
 少しでも曲がれば、教えてやってもよかったのだ。
 
 だからたぶん、一生これはカミューの心の中で留めておく言葉になるのだろう。


「たとえ試合が神聖でも実戦で負けたら意味がないんだよ」


BACK
カミューとマイクロトフがお互いに気づいたあたりの話。マイクロトフって本当にその頃のこと忘れてなさそうだと思います…(笑)。

ドリームふんだんに取り入れられてる気配。ハマるの遅かったのでこの後外伝が出て、違和感なくアレを受け入れてしまったのでこれに違和感…(爆)。(2002.0302)