よりそう魂の家


 でも僕は思う。
 たとえ周りに誰もいなくなっても、この世に生きているのが自分だけであっても、―――それでも、僕は生きていくのだ、と。
 大切な人が死ぬ悲しみを抱いて、それでも僕はそれに囚われて生きていくことはしないのだ。
 ―――それが。

(それが、テッドとの約束だ)



 トランの解放戦争後、三年の月日を経て出会った彼らは皆、少しずつその表情や、仕草や、身体に違いがあった。
 それは時を重ねていく中で当然のことで、女性らしい身体つきになったり、顔つきが精悍になったり、年をとったとわかったり。
 でもそれは自分にはたぶんそうそう訪れるもとではないのだと、遠巻きにそれを眺めながら思う。
「そこにいるのは…リュウ殿では?」
 声をかけられて、リュウは顔を上げ振り返る。そこには、いかにも堅物そうな長身の男が立っていた。
「あ、えーと…マチルダ騎士団の」
「元マチルダ騎士団のマイクロトフです」
 別にしなくてもいいのに、マイクロトフは仰々しく頭を下げた。
 一応自分がトランの解放戦争の英雄だと伝えられているから、そうされても仕方はなかったが、なんとはなしに苦笑する。
「騎士団長さんですよね」
「はい、俺は青騎士団長でした」
「うん、覚えてます。いつも…えーと赤い、カミューさんと一緒にいる」
 記憶の中にいる赤騎士団長のカミューの姿を思い出す。雰囲気はどこも似ていなかったかし、彼らの服装の鮮やかな対比が性格までも現しているようで、強く印象に残っていたから、名前はすぐに出てきた。
「よく覚えているのですね」
「うーん。僕、一応人の名前と顔覚えるのが得意なんです」
 そう言いながら、マイクロトフを見上げる。やはり真面目な性格なのだと知って、リュウは少し笑った。
 人の話す言葉一つも逃さないような真摯な目だ。
「そうですか…俺は、恥ずかしながらあまりすぐには覚えられないので」
 テラスには太陽の日差しが燦燦と降り注ぎ、いっそ眠くなるような陽気だった。
 空が高い。
「じゃあここでは大変なんじゃないですか?」
 一人になれるところのほとんどない、暖かい賑やかな城だ。思えば三年前、トラン解放戦争の時、自分たちが本拠地としていたあの場所は本当の意味で戦うための要塞だったから、戦う者以外はいなかったのだけれど。
 この城はいいと、心から思える。
「ええ、いつも困っています」
「うん、なんだかそんな風に見えます」
「…そうですか?」
 リュウの言葉に、マイクロトフは顔を顰めた。外から見ていてもわかるほどなのだろうかと改めて自分の姿を見下ろす姿に、肩を竦める。
「いや、僕は特にそういうところにばかり目がいくんです。…気にしないで」
 そうなったのは、この右手に宿る紋章の、その力のせいかもしれなかった。
 その力のために、その人の特徴や癖を忘れないように焼き付けようとする。
「…あの」
「はい?」
 ふと、何か迷うような目になったマイクロトフに、リュウは首を傾げる。
 いつもまっすぐ前を見て歩いているような印象の彼がそういう目をするのは珍しいような気がした。
「…リュウ殿は、トラン解放戦争の」
「あぁ…」
 あの頃のことを思い出すのは、まだほんの少し胸が痛む。
 それでも、微笑んでみせた。できるだけ自然に。
 その笑顔に一瞬押し黙ったマイクロトフは、やはりしばらく迷っていたが、意を決したように口を開く。
「故郷を、捨てるというのは…リュウ殿にとっては」
「……グレッグミンスター、っていうんですけどね。僕の生まれたところ」
 あの家にいた頃、自分の幸せはまるでぬるま湯につかっているようだった。
 そのぬるま湯のような幸せが、いつまでも続くと思っていた―――三年前の自分。
「いいところなんですよ。僕のうちには母さんはいなかったけど、父がいて、僕の世話をしてくれる人がいて、姉みたいな人もいて、友達もいて」
「………」
 手の甲が熱くなったような気がして、リュウはそっともう一方の手を添えた。
「そこで僕は幸せだった。でも、いろいろあって、ドタバタ逃げるみたいに出てきちゃったけど」
 息をつく暇もなかったような気がする。テッドのこと、ビクトールと出会ったこと、オデッサと引き合わされたこと。オデッサが死んで自分がいつの間にかその意志を引き継いだこと。グレミオが死んだ。父と戦った。
「あの頃の僕はただ起こる事件、みたいなものに翻弄されてましたから。…マイクロトフさんもそうなんじゃないですか?」
 話はいろいろ聞いていた。そういった情報のようなものは、城にいる誰かが教えてくれたし、仲よくしているナナミやリョウたちも一生懸命、という言葉がぴったりなほどそうやって一つ一つ教えてくれた。
「…俺は、少し前から覚悟のようなものがあったので」
「でもまだ迷ってるんでしょう」
 見透かすように言ってやれば、マイクロトフは面食らったような顔をした。
 顔に表情のでやすい人だと思う。こういう人は嫌いじゃないな、と片隅でそう思った。
「……俺は別にいいんですが。…カミューが」
 カミューの名前に、リュウは目を細める。
 それは端から見れば陽の光の眩しさにそうしたように見えたかもしれない。
「面白い話、しましょうか」
「…?」
 長くなると思って、リュウはすとんとそのままそこに腰を下ろした。
 立ち尽くしているマイクロトフを見上げてとなりに座るように手で示すと、一瞬躊躇したようだったがすぐに同じように腰をおろす。
「たとえば、友達がいて。その友達がとても大切なものを持っていた、とするでしょう?」
 そうして話しながら、思い出すのは、時折見せた寂しげな顔。それと、幸せそうに笑う顔。
 そういう顔のテッドだった。
 きっとマイクロトフはカミューのことを思い出しているだろう。
「しかもそれがものすごく大切なもので、価値のあるもので。それを託されたらどうします?」
 そうやって尋ねれば、マイクロトフはほんの少し眉を顰めた。
 それから、言葉を選ぶように答える。
「…大切にします」
「だよね、うん…。でもそれが自分にとって不幸をもたらすものだったら?」
 また、手の甲が熱くなってリュウは視線を落とした。
 添えた掌に感じる、その紋章の熱さにじわりと微笑む。
 ―――答えを待った。
「それでも、俺は大切にします」
 リュウの待った答えはあっさりと簡単にもたらされた。
「…僕もね、そうやって大切にしてるんです。これ」
 そう言って、リュウはひらひらと右手を示した。その手にあるのは、決して普通では見ることのない紋章の印。『ソウルイーター』。
「………リュウ殿」
 重い空気に、リュウは笑った。マイクロトフの痛ましげな視線すら跳ね飛ばすような笑顔だった。
「僕はね、この紋章を受け継いで、親友を失いました。父親や、いろんな人の死を見てきました」
 あの頃、もうこれ以上に悲しいことなどないだろうと思った。
 心が麻痺するような孤独の中、それでも立ち直ったのはなんでだったのだろう。
「悲しくて悲しくて死ぬ方がどんなに楽だろうと思いました。でも、ね。マイクロトフさん」
 自分がどんなに笑って話していても、きっとマイクロトフは暗い面持ちでこちらを見つめているのだろう。
 この人は真面目すぎるのだと思う。真っ直ぐすぎて、いらない痛みまで感じてしまう人かもしれない。いらない責任まで考えて動けなくなる人かもしれない。
「僕は後悔はしていません。僕は、この紋章…ソウルイーターっていうんですけどね。それのせいで死ぬことは出来なくなったし成長も止まったけど、僕はこれをテッドから…親友から、受け継いでよかったと思っている」
「…それは」
 この話をはじめてから、ようやくマイクロトフから先を促すような声が聞けた。
 その事実に、リュウは顔を上げる。
 澄み渡った空が眩しい。
「たとえ僕の周りに、僕を知っていた人がみんないなくなっても、名前を呼ばれることがなくなっても、でも僕はテッドが感じて生きてきた想いを受け継いで、人を見守れる」
 ふと気がつけば、テラスに見知った姿が近づいてくるのが見えた。
 赤騎士団長のカミューであることは、遠目からも服装でわかる。
「それに僕は思うんです。その人が何を幸せと思うか不幸と思うか。そんなの人それぞれだし」
「…リュウ殿…」
 リュウの言わんとすることを知って、マイクロトフは少し、ほんの少しだけ、泣きたいような、笑いたいような、そんな微妙な顔をする。
「僕は後悔なんてしない。絶対にしない。僕は幸せです。マイクロトフさん、大丈夫ですよ。ほら」
 指さした先に、カミューがいた。こちらの話が終わるのを待っていてくれたようである。
 振り返ったマイクロトフが、もう一度リュウを見た。
「幸せじゃなかったらあんな風に笑えませんよ」
「…そう、思えるようになったきっかけは、あるのでしょうか」
 立ち上がると、マイクロトフの背の高さにリュウは内心苦笑した。
 三年前のあの頃は、この背で止まってしまうなんて思ってもいなかった。
 三年経って、背の高さやその身体つきの変わってきたカスミを見て、実感したそれは、たしかに寂しさだったけれど。
 その寂しさを、どうしようもない孤独を、立ち上がれたのは―――。
「僕には奇跡が起きたんです。…だから、かもしれません」
 そう言って、あとはもう笑っていた。
 どこに行っていたんだ、と先に声をかけたのはマイクロトフの方で、肩を竦めて笑うカミューの、その表情に、大丈夫、ともう一度確信する。
(僕にはわかるんだ)
 その人が幸せかどうか。それは、この右手に宿る紋章が教えてくれる。
 暖かさも、寂しさも、悲しさも、全部。
 想いの詰まったこの紋章が。

 見上げた空は突き抜けるような青さだった。眩しいのはその空なのか、太陽の光なのかはわからなかったが、その青さを見つめたまま、リュウは右手を空にかざした。
(幸せだよ)
 その言葉は、誰に向けた言葉だったのかはわからない。
 でも、それでいいと思った。
BACK
坊ちゃん話。大まかな部分、というか、最初と最後が出来て、そこに至るまでをどうしようと考えていたのですが、気がついたら騎士からんでしまってどうしよう、という。いやなんだかマイクロトフがうじうじしてて気持ち悪い気がしま…げふ。
本当はカミューと坊ちゃんの予定でした。そっちはもっとフランクでダークで(はーいー?)。
…本にしちゃ駄目かしら…。
それと、今更ですが坊ちゃん=リュウ、2主=リョウ、です。わーわかりずらーい(爆)。