マイベル




 なんでそういう展開になったのか、実ははっきり覚えていない。
「おい瀬戸口、大丈夫か」
 若宮の気遣わしげな声にも、まともに反応出来ていたかどうか。
 教室は静かだ。誰も何も言わない。身じろぎするのすら窮屈そうな気配があった。
 その日。
 5121小隊には衝撃的な事件が起こった。
 壬生屋と瀬戸口が、別れたのだ。

 昼食の時間になっても、まだ朝のショックから立ち直れていない瀬戸口を、どうにかこうにか引きずってきたのは速水と滝川だった。
「師匠、元気だせって!」
 しかし瀬戸口は俯いたきり動かない。もちろん昼食には壬生屋の手作り弁当を持参していたが、あの後では無邪気にそれを開く気は起きないようだった。
「おい速水、なんとかしろって!」
「無理だよ」
「じゃあ連れてくるな。気分が重くなるだろ」
 その場にいて今までずっと無言だった茜がぼそりと呟いた。
 たしかに場の雰囲気は最悪に重い。滝川はこういう雰囲気を読み取るのが下手なおかげで、影響されている様子はなかったが、速水や茜にしてみれば、あんまりにも重苦しい瀬戸口の雰囲気に、こちらの気分まで奈落に落ち込みそうだった。
 空はいい天気だというのに。
 瀬戸口一人のために、雨でも降りそうだとすら思う。
「で、でも放ってもおけないじゃない」
「大体何があったんだよ。僕は2組だから詳しいことを知らないんだ」
 一応、壬生屋と瀬戸口が別れたという話は知っている。知っているが2組の人間はその場にいなかったので、やはり詳細なところは知らないのだ。
 茜の言い分ももっともだったが、この場で教えてあげられる雰囲気でもない。
「……どうせ浮気でもしてたんじゃないのか」
「えーと…」
 茜の推理は半分くらいは当たっていた。
 瀬戸口は壬生屋とつきあい始めても、時折見知らぬ女性と出かけていく。
 本人はそれは昔からの知り合いで、断れない筋からの話があるからついていくのであって、何かをしているわけではない、という。
 しかしそれは、速水や茜、滝川からしても苦しい言い逃れにしか聞こえない。
 そこで今回の壬生屋である。
 実は壬生屋をたずねてきた男がいたのだ。それがどうも壬生屋の兄の友人だったということなのだが、瀬戸口はそれが気に食わなかった。
 そこで口論が始まり、そして最終的に壬生屋が言ったのは、瀬戸口には即死効果すらありそうな言葉だった。
―――束縛されたくないんです。…だから、別れましょう
 今思い出してみても、あれは痛烈な一言だった。
 二人がつきあい出してから気がついたことだが、瀬戸口と壬生屋。どちらの方が独占欲が強いのかと思えば、意外にも瀬戸口だった。
 壬生屋も普通より締め付けの厳しいタイプだという印象だったが、瀬戸口はそれを上回る。
 恋してしまえばそれがよろこびに変わるものかもしれないが、それにしても目にあまる。
 速水や滝川はパイロットで、壬生屋と同じ仕事だからよくわかった。
 よく出撃直前、パイロットたちは忙しい整備の人間たちをわき目に談笑しているのだ。
 それすら後で、何の話をしていたか根掘り葉掘り聞かれたりする。
 今朝の壬生屋の言葉は、1組的にすればついに出たか、というところでもあった。
「自業自得じゃないか」
「まぁ概ねそんな風にも言うかもしれない…」
「いやそうとしか言わないだろ」
 すっかり半眼の茜は、いかにも馬鹿馬鹿しいこの騒ぎに、冷めた目で瀬戸口を見遣った。
「それでどうするんだよ、僕らに出来ることなんてないだろ」
「いやー…あるんじゃないかなぁ…ねぇ、滝川」
「あー、例えばオレらで二人の仲を取り持つとか」
「馬鹿か」
「そんなこと言うけどさ、茜」
「なんだよ」
「僕ら、1組はさ、こんな瀬戸口とぴりぴりしてる壬生屋さんの空気に挟み撃ちにあって今すごく雰囲気悪いんだよね」
「ご愁傷様だな」
「整備員って、パイロットには無事帰還してもらいたいよね?」
「………」
「そう嫌そうな顔するなって!なぁ!」
「そうだよ!」
 1組のパイロット二人は、実に巧みなテンションで茜を渦中に巻き込んだ。
 もちろんこの程度のことで、戦闘に影響が出そうな面子はここにはいない。
 なにせ速水は常にあぶなげない戦いで幻獣を屠り、むしろ幻獣が速水機を見たら撤退するくらいの勢いだし、滝川にいたってはそんな雰囲気に呑まれるような細い神経もしていない。
 わかっていたが、茜にはすでに断ることは出来なくなっていた。
 なにせ速水と滝川が、輝かしい笑顔で茜の返答を待っていたからだ。
 ここで無理に嫌がったら、今後どんな目に遭うか。想像するだに恐ろしい。
 脅迫だ、と茜は思ったが、口には出せなかった。速水が手にしているサンドイッチを握りつぶさんばかりだったのを目撃したからだ。

 

 さて、まず速水たちの作戦は、女子を使って壬生屋の本音を聞きだすことからだった。
 壬生屋と瀬戸口に限って、まさか本気で別れるなんてことはありえない。どこから生まれた根拠かは知らないが、5121小隊の人間ならば概ねそう答えるはずの二人である。
 まず最初に自分たち側に引き込んだのは、もちろんこういうことが大好きな加藤だった。
「協力したらいくらくれるん?」
「さ、さすが会計担当…ッ」
 滝川が思わず怯むのをわき目に、速水はあっさりと答えた。
「狩谷とデートできるよう仕組んであげるから」
「のった!」
 それを聞いていた茜と滝川は、ちょっとばかり自分たちの仲間の男が怖くなってしまった。
 こうもあっさり仲間を売られるところを目撃してしまうと如何ともしがたい。
「じゃあみおりんに探りいれてくるわ」
「うん、頼むよ」
「絶対やで?」
「うん、大丈夫」
 上機嫌で去っていく加藤の後ろ姿を見送って、ようやく見えなくなったあたりで、茜がぼそりと呟く。
「…ほんとに大丈夫なのか…?」
「なんとかなるんじゃない?まぁ、口約束だしさ」
 笑顔で、そしてのほほんと答える速水に、茜と滝川はその場から逃げ出したい衝動にかられたものだが、そんなことはできないのだった。
「で、作戦ってこれだけか?」
「そんなわけないじゃないか。他にもあるよ!」
 なんだかイキイキとしている速水に、すっかりひいている茜は、とりあえずテンション担当の滝川に全てを任せて逃げ出したい気分になりつつ。
 戦術教本を眺めていたかったが、力強く速水に襟首を掴まれて、ほとんど拉致状態でずるずると従っていった。

「みーおーりーん」
 明らかに下心が見える笑顔で加藤が手を振って壬生屋に駆け寄ると、彼女は訓練中で、それは見事にサンドバッグに強烈なパンチをお見舞いしていた。鈍く低い音が校舎のそばという事もあってこだまする。それはそれは心の寒くなる一発だった。
「…あ、祭さん」
「……えと、訓練中…やった?」
 振り返った壬生屋は、加藤を認識するまで鋭い眼光で野生の獣すら連想されたが、相手が親友の加藤だと知るや花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
…少し、その豹変っぷりに感動しそうである。
「いいえ。ちょっと気持ちを整理させていただけですから」
 その言葉に、ようやく加藤は目的を思い出して身を乗り出した。先ほどの衝撃を受けてゆらゆらと揺れるサンドバックを両手でとどめるようにしてやると、ようやく目障りでない程度になった。
「なぁ、朝のアレ、本気なん?」
「…朝の?」
「…瀬戸口と!盛大にもめてたやん?」
「ああ…、ええ、本気です。わたくし、ほとほと呆れてしまいました」
 壬生屋の口調は朗らかだ。しかしその口から零れるものはどれもこれも鋭い刃のようだった。
 これを瀬戸口が聞いていたら本気で立ち直れないかもしれない。
「…でも、好きやって言うとったやん」
「わたくし…時間を無駄にしていたんですね」
「………」
 これは痛い。
 微笑みながら、いっそ恥らっているようにすら見える壬生屋の言葉は、本格的に決別を意味していた。しかしこんな情報を、速水に無造作に差し出すわけにはいかない。なにせ加藤も恋する乙女である。狩谷とのデートを棒に振るほど余裕はない。
「…えっと…」
「ふふ、祭さん。わたくしのこと気にしてくださったんですか?」
「…え、あ、うんそうや」
 敏い人間なら気づきそうな相槌だったが、壬生屋は気にしなかったようだ。相手が速水や原じゃなくてよかった、と胸をなでおろしつつ、しかし次にくる言葉に身構える。
「大丈夫ですよ。わたくし、案外冷静です」
「驚いたわ」
「え?」
「…本当に、瀬戸口のことどうでもええみたいやし」
 加藤が心底驚いたように呟くと、壬生屋は苦笑した。好きだった人と別れて、こんなに綺麗な笑顔を浮かべることが出来るのかと思うようなはっとするような笑顔だ。
 しかし何も言わない。
「なぁ、たとえばそれで、あっさり瀬戸口が誰かとくっついちゃったらどうするん?」
「…どうもしませんよ」
 やはり笑顔のままそう答える。しかしその口調に、僅かな隙があるように感じられて、加藤はここぞとばかりに口を開いた。
「そんなにあっさり自分の気持ちにケリつけられるもんなん?」
「祭さんも、わたくしと同じ立場に立てばわかります」
「そういうもんなんかなぁ」
 どこかに一本芯が通っているように思えた。隙はすでに消えていて、どこにも付け入るところはなさそうだった。壬生屋はもしかしたら、先ほどの背筋の凍るような一発に、自分の想いも何も全てこめて、発散してしまったのかもしれない。
 これは加藤一人にはお手上げの予感がしていた。愛の伝道師と自称する男の、さらに上を行く恋愛の猛者といったら誰だろう。考えて一人、思いついた。整備主任、そして奥様戦隊の原素子である。

 

 加藤が原を探して辿りついたのは、なぜか整備員の詰め所だった。詰め所は衛生担当の萌の仕事場でもある。が、いるはずの人はおらず、原だけが一人―――いや、違う。
「あらら、どうしたん、そのヒト」
 ぐったり伸びているのは、若宮だった。筋肉のカタマリのような男が、腐った弁当を食べても食あたりを起こさない男がここで伸びているだなんて、明日は雨だろうか。そう思っていると、どうやら決闘でもしたものか、顔に見事なあざが出来ていた。
 若宮は筋肉のカタマリ、若宮はスカウト。その人をのせる相手といったら、思いつくのは来須くらいのものだ。しかし来須は若宮と決闘する理由がない。謎である。
 すると今まで黙っていた原が、白い紙に大きく「バカ」と書いたものを、若宮の顔にはりつけようとした。
「いや、それはまずいんちゃいますか」
「だって速水くんよ、相手」
「…何で?」
 たしかに原と速水は仲はいい。見目的にもなかなかよろしい二人だったが、この二人の仲がいい、はどちらかというと「キツネとタヌキ」である。会話を聞いていると冷や汗が出てきそうなばかしあいの会話になる。若宮は原のことがとにかく好きそうだったので、そんなこと判断つかなかったのかもしれないが。
「さぁ、バカなんじゃないのかしらね」
 そういって、頬のあたりにさきほどの紙を貼り付けた。
「で、どうしたの?石津さんならいないわよ」
「……」
 加藤はとりあえず、今までの経緯を適当にかいつまんで原に打ち明けた。といっても、瀬戸口と壬生屋の話はすでに5121で知らない人間はいなかったし、つまるところ原にとっての新しい情報といえば、速水たちがタッグを組んで二人の仲をどうにかしようとしている、という事だった。
 友情に厚いためかどうかはともかく、原は先を促した。
「そう。それは大変ね。それで私に話した理由はなんなのかしら?」
「こういうことに強そうやなぁ思うて」
「壬生屋さんの心を暴くのだとしたら、難しいわねぇ」
 ふう、とため息がてらに原はそう言った。いかにも演技っぽく見えたが、実際のところ難しいとも思う。壬生屋の心はいまや天岩戸よりも固い。
「実際本当に、瀬戸口くんに言い寄る女がいたら、何かあるかもしれないけれど」
「それや!」
「誰がやるっていうの」
 壬生屋の心をくすぐる真実味溢れる相手で、しかも瀬戸口に本気にならない相手。
 そう考えると意外にこれが適任という人物がいなかった。演技が出来なそうだったり、もしくは真実味溢れるとかいう問題じゃなくなりそうだったり。
 しかしそうやって考えている横で、原はふと自分の言い出したことが、実に面白そうなことだと気がついた。彼女はれっきとした奥様戦隊の一人である。こういう形で噂の真相に近づくのも悪くない。
「…加藤さん」
「ん?なんや?」
「面白いわね、私がやろうかしら」
 こうして事態は急転する。

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タイトルがどこからきたか知っている人には一発でわかるオチ。