MOONLIGHT SHADOW




 ほしいって思ったら駄目なのか?と笑ったら、速水は別にいいんじゃないの?と笑った。そういう感情は自分にもあるからね、と付け足すように笑っていた。そのわりにこの男の相手が特定出来ないのはまったくもって謎だ。加藤に聞いてもたぶん同じように答えるだろう。
「でも君のそれは、独占欲通り越してると思うよ」
「俺は正直者なんだよ。素敵だろ?」
「自分の心に正直なのが美徳だってのは、日本人的じゃないんじゃない?」
 速水はそう言いながら手を動かしている。二人はすっかり油塗れだった。密かに一番機の整備をしているのだ。何せ特攻癖のある壬生屋の機体である。刀や剣が強いのはファンタジーの世界だけだとどれだけ坂上が言っても壬生屋の心は頑なで、まったく意志を曲げようとしない。もちろん整備は本人も、一番機の整備士たちもきちんとこなしているけれど、瀬戸口は自分の寿命のためにやっているのだった。速水を巻き込んでいるのは、まぁ成り行きに近い。
「我慢は今まで沢山してきた」
 ぽつりと呟いた言葉に、速水はふうん、と相槌を打った。意味がわかっているとは思えない。たとえば自分がどんな人間であるとか、そもそも人間じゃないとか。
「本人がそう言うんならそうなんだろうね。でも瀬戸口って勝手に遠回りして勝手に思いつめちゃうところ、ありそうだよね」
「…憶測でものを言うのも美徳じゃないだろ?」
「失礼だな、プロファイリングって言うんだよ、これ」
「どこに科学的根拠があるんだよ?詳しく聞いてみたいもんだな、バンビちゃん」
 もうすぐすれば、外には太陽が昇り始めるかもしれない。戦うために生きているから、多少の無理はきく身体だ。薬一つでどうとでもなる。
「僕、そういうツッコミは好きじゃないなぁ」
「とにかく!本当に俺はたくさん我慢してきたんだよ」
「だからって喧嘩することないと思うんだけど…」
 好きだとか愛してるとか、そういう言葉で想いを伝えてはや数週間。その間に出撃は何度もあった。少しは変わるかと思ったが、彼女の戦闘に対する意識は改善されることなく今日に至っている。特攻癖は治らないし無茶をする。相変わらず戦場での瀬戸口の心拍数は上がるばかりだ。いつか心臓発作を起こして死ぬんじゃないかとすら思う。そうなったら原因は壬生屋以外考えられない。
「……まぁ、なんだ。たまには喧嘩ってのも」
「じゃあそんな、怒られた犬みたいな顔しないでよ」
「………美形に対してその言い草は酷くないか」
「自称美少年だもんね瀬戸口」
 何度も伝えた。死んでほしくない生きてほしい愛している、その他にもたくさんの言葉で出来る限りの手段を尽くしてみたりもした。わかりましたと頷く彼女はたしかに真剣なのだけれど、戦場ではそんな言葉は結局口約束だとでも言いたげに幻獣に突っ込む。いい加減学習能力ないのか!?と怒鳴ってしまったのは言い過ぎだったとも思うのだけれど。
「……信用されてないのかな、俺」
「君の言葉って軽く受け止められそうだもんね。好きとか愛してるって言葉、たくさん使いすぎると価値がどんどん薄くなっちゃうみたいだよ」
「……そういう、変な知識は豊富だよなお前」
「僕は女の子の味方だから」
「その言い方には引っかかるものを感じる」
 5121で傷ついた獅子勲章を手にした者はいない。要するにそれは、誰も死んでいないということだ。素晴らしいことだ。パイロットの腕もいい。整備の人間も皆真剣だ。だからこそ今の幸せはあるのだと思う。
 でも。
「…あいつ、気付いてないよなぁ。くそ…っ」
「瀬戸口、こういうのは気付かせないでやり遂げるのが格好いいんだよ」
「俺の性に合わない」
 彼女の機体を、彼女のいない間に整備して、できうる限り最高の状態に置いて出撃させる。なんて甲斐甲斐しいんだ俺って、とすら思う。速水に手伝わせてはいるけれど。
「なぁ、俺っておかしいか?自分の彼女に生きてほしいって思うのは変か?」
「変じゃないし、おかしくもないんじゃない?」
「あら、まだやってるの?頑張ってるのね」
 凛と通る声に、二人は同時に背筋を伸ばした。振り返れば、油まみれの二人とは対照的に綺麗な姿の原が腕を組んで立っている。
「原さんもこんな時間まで?」
「そうよ。パイロットさんたちに不自由な思いさせたくないのは皆一緒だもの」
 その言葉に速水は笑った。視界の隅に入る笑顔は妙に嬉しそうで、いつもの笑顔とは多少違う気がした。
「そうですね」
「だから瀬戸口くん、君、あまりパイロットに無理させちゃ駄目よ」
「はいはい、すいません」
 どこも汚れていないからといって仕事をさぼっていたわけでもないだろう。彼女には彼女の仕事があって、たとえばそれが書類との戦いだったり、乏しい物資でどうにか遣り繰りする。そういう戦いだってあるのだ。
「速水くんもあまり言うこと聞く必要ないのよ。これは上官命令です、そろそろ帰りなさい」
「はい」
「瀬戸口くんが壬生屋さんの心配するのもわかるけれどね」
 くすり、と口元に綺麗な指を当てて笑う姿に、瀬戸口はどことなく後ろめたさを感じて視線がさまよった。いかん負けている、と思ったがどうしようもない。壬生屋のことになるとどうしようもない。隠しているつもりはないから、たぶん5121の誰もが知っていることだろう。
「わかってくれて嬉しいですよ、ほんとに」
「苦労するわよね。私も貴方も」
 本当に。
 気付いてるか?とここにはいない人のことを思う。明日もあるかもしれない出撃に、無事に帰ってほしいと願っている人がどれだけいるか、気付いてるか?と思う。
 いろんな戦いがあって、自分一人で戦ってるなんて思ってほしくない。いつか、きっとわかってくれるだろうか。
「瀬戸口」
「ん?」
「明日はきっといい日だよ」
「―――ああ」
 誰の言葉だったっけそれは、なんて思いながら、瀬戸口は頷いた。じゃあね、と手を振る速水の手はすっかり油まみれだ。瀬戸口は踵を返して一番機に向き直った。後ろから、原と速水の声が聞こえてくる。
 いい雰囲気なんじゃないか、もしかして。なんて思いながら、瀬戸口は壬生屋のためにまた整備を続けることにした。
 もうすぐ日は明ける。明日もきっといい日だ。


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「明日のために」の続きみたいな話ですな。それぞれの戦い、みたいな話。