その先の未来へ





 好き、というのを認めてしまったら負け。
 これはそういうルールで出来た、最初から負けている戦いだ。

「いい加減にしろ!!」
 その場にいた全員が、びくりと肩を震わせるほど大きな声が轟いた。場所はハンガー、一号機のすぐそばだ。怒鳴られたのは満身創痍の一号機パイロット、そして怒鳴ったのはパイロットを正しく誘導するオペレータの一人だった。
 怒鳴られた方は、身を竦めはしたものの、それで意気消沈はしなかった。その深い青がオペレータを強い視線で睨む。
「おまえの戦い方がどれだけ迷惑かわかってるのか!?」
 言いながら、手すりを強くたたく。ガンッという音がして、近くでその様子を見ている速水などはただただ、痛そうだ、と思うくらい。彼の掌は強く握られていた。強く握りすぎて、震えていた。怒りが体内におさまりきらずに身体を震えさせるほど。彼の感情は今、一つに向かっている。
 その視線を、真っ向から受けて、彼女――壬生屋はひるまない。
 少し前まではすぐ泣きだしていた気がする彼女は、ある時を境にどれだけ怒鳴られてもただただ冷静だった。そのかわり、戦場ではさらに無茶を繰り返すようになった。
「…っ、なんとか言えよ…!何、考えてんだ…!」
 瀬戸口の滲むような怒り。
 周囲の様子など何も見えていない。いつもなら、瀬戸口の横にいるはずのののみも、今は瀬戸口の横にはいなかった。たかちゃんがこわい、とぐずりながら舞のところにいる。
 いつもなら、喧嘩を始めた二人に「めーなのよ」と言って諭す彼女。だけどそれすら跳ね飛ばす強力な感情。他人の入り込めない、本気の。
――本気の。
(ああ、そうかぁ…)
 瀬戸口と壬生屋。二人はこの5121小隊が結成されてメンバーが揃った頃からとにかく相性が悪いように思われた。真面目で少し気難しい、厳格な家で育った壬生屋と、誰彼構わず愛を振りまくなんて言われる瀬戸口と。
 幻獣と戦い始めれば戦いに慣れていないとはいえ恐ろしいほど特攻する彼女。まるで何かに追い詰められるように前へ前へ。何かの糸にひかれて進むように見えていた彼女に、瀬戸口は何度も何度も皮肉や怒りを織り交ぜて、そういう戦い方をやめさせようとしていた。確かに彼女の戦い方は怖い。複座型の三号機が追いつけない素早さで突進されてしまったら、フォローすら覚束ない。誰も死なせたくない。そういう気持ちでいる速水にしてみれば、結果的に彼女の動きまでも予測しながら戦わなければならない。だが、速水たちはまだいい。戦える立場だからだ。瀬戸口は、ただただ、フォローする側だ。指揮車からの微小な攻撃も出来なくはないが、指揮車が前線へ行くことは出来ない。
 だからこそ。
 だからこそ、彼は必死に言葉でわからせようとする。
 どんなに迷惑かわかるか?一号機の整備士をストレスで殺す気なのか?おまえにとってそれが正しい戦い方なのか?パイロットは優先的になんとかしてもらえるとでも思っているのか?
 …そうやって、たくさんの言葉を重ねては。
 本当に言いたい言葉をひたすら隠している。
 彼女を傷つけてもなお。
 速水はそれをだいぶ前に気づいて、以降は彼と彼女のどちらかから何か言われでもしない限り、首を突っ込むのはやめる事にした。これは本人たちが解決しないといけない問題だ。
 彼女は一体何にせかされてそんな風に戦うんだろう、なんて思っていた。実際何に脅かされて前へ前へと進むのか。それはわからない。たぶん彼女の言葉から理論的な言葉が出てきた事がないのだから、そのままの意味だろう。本人にだってわからないのだ。
 ただ、ただ、前へ行く。
 あるいは昔彼女が語ったように、兄の姿を思い出してだろうか。
 それとももっと別の何かが、彼女をどこかへ駆り立てるのか。
 恐怖が、前も後ろもわからなくさせる事だってある、と言ったのは瀬戸口だった。なら壬生屋のそれもそうなのかも、とも思ったのだ。戦い続けてきた一族だ、と彼女は言った。戦い方は人それぞれであったにせよ、彼女の一族はそれを誇りに今日まで生きてきた。そういうものも、彼女を駆り立てる要因の一つなのかもしれない。
 だけど本当は。
 たぶん。
 あの視線に込められていて、言葉に出来ないだけで、その言葉に出来ない感情が、叶わないと信じているその感情に、必死に封をしようとして。
 そうやって、ひたすらに何かを押し殺した結果なのでは?なんて。
(そうだよ、だってほら)
 見てみなよ、あの視線。他の誰も二人の視界を奪えない、あの世界。
 歪んでいて、恐ろしいくらい辛い感情。強い感情。
(何度ループしたって、二人の視線の行きつくところは同じなんだよ)
 誰か早く、彼女にそう言ってあげてほしい。そして彼に少しの安堵を与えてほしい。
 その安堵が、「今」だっていいはずなのだ。
 そう考えていた速水だったが、それから少しして、ようやく彼女――壬生屋が動いた。
「…なら、止めてください」
 小さな声だった。
 決して感情的ではなかった。だが、確実にその声は震えていた。言われた瀬戸口は、何が起こったのかわからないという顔をしている。
「あなたが、私を止めてください」
 もう一度、重ねるように壬生屋は繰り返す。
「何…」
「………」
 何も知らなければ、壬生屋の言葉は理不尽なものに聞こえるはずだ。今までだってずっと、瀬戸口は壬生屋の戦い方を否定して、戦い方を変えさせようとしていたのだ。他人の感情を盾にして、「整備士を殺す気か?」「パーツの修理にどれだけかかるかわかってるのか?」「速水たちがいつもおまえをフォローしているのを知っているのか」とか。
「あなたの、言葉で」
 ふと速水は気がつく。
 自分の感情を語ろうとしないのは互いともだ。言わないのに何か理由があるのかは知らない。だが。
「………」
「わたくしは」
 ぽつりと壬生屋が語り出す。
「そうしたら、止まれます。…きっと」
 なぜか、は言わない。
 そうやって、二人はやはりいつも通りそこで足踏みして、前にも後にも進めなくなる――そう思っていた時だった。
「…どう言えばいいんだ」
 瀬戸口の言葉に今度は壬生屋が驚いて、そして。
「…ふふ」
 瀬戸口は困り果てている。さっきまでの勢いは、そして怒りはどこへ消えたのか。ただひたすら困惑している。
「ごめんなさい。…今、どうしても聞きたい言葉があったのですけれど」
 もういいです、と諦めたように笑った彼女は、酷く透明に見えた。
(……何度目だっけ)
 あの笑顔を見るのは?
 それは自分だけが知る結果の話。誰にも知られないはずのもの。だけど何度も見た。シチュエーションは違い、それこそ時にはそんな状況にも辿り着かなかったけれど。
 と、途端にサイレンが鳴った。まさか一日に二回も出撃がかかるとは思わなかった小隊は、それぞれ身を固くする。これが最前線で戦うということだ、としみじみ思う。
「一号機は出せるのか?」
 唐突に、整備士である遠坂に、瀬戸口が声をかける。話題を振られた遠坂は驚きながらなんとか、と答える。その答えに、瀬戸口は眉間の皺をクッと深めた。
 伝わってくる焦燥感。そして伝えなければいけない、伝えられない言葉。それが彼の身体の中を渦巻いている。
「壬生屋」
「…はい」
「ちょっと来い」
 言うが早いか、瀬戸口は壬生屋の手をとって、衆人環視の中を逃れるように足早に立ち去った。本来ならば、パイロットはパイロットで準備があるのだが、それを指摘する者はその場にはいない。
 静かに二人を見送り、ハンガーから出ていったのを確認すると、誰もがため息をついた。
 皆それぞれに興味津津で、緊迫感の中にいたらしい。
「…戦い方が変わるといいがな」
「いきなり前に出なくなっても困るよ。換装出来ないでしょ?」
 舞の言葉にやんわり笑って、速水は肩をすくめた。
「そもそも彼女の戦い方の為に軽さ追求してますから、一号機は」
 その話題に、遠坂も加わってくる。軽さ追求。それは壬生屋には伝えていないらしいが、整備を担当している者たちがいつもさりげなく気にしている内容だった。もちろんその中には、くだらないと思う内容もあったけれど。
「壬生屋さんの髪を切るっていうのも?」
「まぁ、それはちょっと迷走しているところではありますが」
「そうだよねぇ、その時はまず遠坂の髪から切るべきだ」
「………まぁ、いいですけど」
「いいのか」
 思わず驚く舞に、遠坂も困ったように笑う。
「まぁ、女性でもないですし」
「まぁそりゃそうだね」
「…しかし壬生屋の髪は綺麗だからな。切るのは惜しい」
「あ、やっぱり女の子だなぁ…」
「……そ、そういう意味で言ったのではない!!」
 笑いながら。
 誰も見えないところで、二人がどうなってるかなんてことを軽く想像して、そのループに明るい兆しを見た、と速水は笑った。
 今度こそ、皆で生きて笑って終わる。そんな風に、夏を迎えたっていいと思うのだ。



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リクエストで書いた久々瀬戸壬生。何度目のループなのかはあっちゃんだけが知る世界。