LIFE 4th







 ふと辺りを見渡せば、そこは無限に続く大地だった。
 どこまでも続く草原。地平線すらのぞめるその光景に、壬生は目を細めた。
 そよぐ風は土の匂いと草の匂いを運び込む。
(…ここは)
 辺りには人らしい影は見えない。そこがどんな場所なのかもわからないまま、壬生はふらりと歩き出した。
 一歩進むごとに、妙な寂しさを感じて、心の中に不安に溜まっていくような気がした。
 そこは、どれだけ歩いてもどこまでいってもただ緑の大地が広がるばかりだった。豊かな大地である。それなのに、進めば進むほど孤独を感じた。
(…僕は、そんなに弱い人間じゃない)
 そう強く思っても、長くは続かない。心のどこかでぽつりとほつれが見え始めると、進むのが困難なほどに不安になった。
 空は次第に色を変えていく。沈む夕日を呆然と見つめながら、壬生はただ「寂しい」と思った。
 何かがたりない、と思った。
 いつもそばにあるのにこんな時に限ってどこにもない。
(…違う、僕は)
 こんな年齢になって、寂しいと口にするのは憚られた。誰もいないからといって、口にしたら全てが終わる気がした。
 だから壬生は、ぐっと唇を噛んだ。
 空には感動的なほどの大きな夕日。
 そこにただ立ち尽くすだけの自分。
 自分は一人だっただろうか。誰もいないのはどうしてだろう。気がつけば、もう歩くことは出来なかった。
 足に、草が絡まっていた。
 それを振り払う気にもならず、壬生はその場にただ立ち尽くした。
 沈む夕日の反対側から、夜が近づいている。
 夜が来て、闇になり、空気は冷え、それでも自分はただその場に立ち尽くす。
(誰か…)
 誰か、そばにいないだろうか。
 そればかりを考えた。
 だが、人が現われる気配はない。当然だった。
 ここまで誰にも会っていない。広がる草原には果てしがなく、そこで生きているのは自分一人で、―――でも。
(なんで僕はこんなところにいるんだっけ)
 と、突然。
 浮遊感を感じた。



「…起きたかー重いぞ」
「あ、れ」
 頭が微妙に重かった。辺りを見渡せばそこは龍麻の部屋で、どうやら自分は龍麻の背中に凭れて眠ってしまったらしい。
 自分がしていたことに驚いて思わず顔が赤くなった。
 かたや龍麻は、肩をまわしながらため息をつく。その顔には特に照れもなく、どうやらなんとも思っていないようだった。
「…その、悪かったね」
「別に」
 短い返答だけで、龍麻はそれ以上は何も言わなかった。そういえば龍麻はずっとゲームをやっていたのだった、と思い出す。
 なんとはなしにやってきた壬生を、龍麻はなんの気負いもなく部屋に招き入れて、最初は龍麻がやっているゲームを見ていたのだが、足元に散乱する本だのゴミだのを片付け始めて、それが一段落したら眠くなって。
 そういうことはわりと日常茶飯事だから、すでにどうこう言う気はなかった。
「…龍麻」
「ん?」
 ただ、あの夢の光景がやけに脳裏に焼き付いていて、気を抜くとそこがあの草原なのではないかという錯覚に陥りそうだった。
 だからなんとなく声をかけたが、かといってどう切り出すべきかと思っていると、龍麻がその沈黙を埋めるように呟いた。
「俺さぁ、小さい頃からよく草原の夢、見るよ」
 ―――その言葉に、壬生はどう返せばいいかわからなかった。
 はじめて見た夢だった。寂しさに押しつぶされそうな夢だった。あの草原は、ただ広いばかりで。
「どこまでいっても終わりがないから意地になってずーっと歩いてんだけど、まだ辿り着けてないんだよな」
 龍麻はそう語りながら笑っているようだった。
 どうして笑っていられるんだろう、と壬生はぼんやりと龍麻を見つめる。
 視線には気づいているだろうが、龍麻は振り返ることはなかった。ただゲームの画面を見つめている。
「人に会ったことは?」
 ふと、聞きたくなった。あの寂しい場所で、毎回龍麻は一人で歩いているのだろうか。
 空の太陽がなければ自分がどっちに歩いているのかも判別がつかなくなるような、そんな場所で、寂しいと感じないのだろうか。
 本当は、寂しくないのか、と聞きたかったが、それは口にはしなかった。
「まだ、ないなぁ。たぶん」
 何度も見るという、あの草原を。
 あの強烈なほどの孤独感。揺れる緑も驚くほど大きな太陽も、決して心の足しにはならないあの場所。
 人の気配すらしない、人以外のものならば生きている気配がするのに、人間の姿だけがない、あれは、なんなのだろう。
 黙り込む壬生に、だが龍麻は何も言わなかった。
 その背中に、そんなことがあるわけがない、と思いながらある一つの可能性に気づく。
(あれが龍麻の心象風景だとしたら?)
 人のいない草原。ただただ広く果てしのない大地。
 ―――あれが。
「あ、でも一度だけ誰か見た気がするよ。誰だっけ」
「…いや、僕に聞かれても」
 そう答えながら、壬生自身もその誰かが気になった。
 もう二度と見たくない夢だと思ったが、もう一度行ってその誰かを見てみたい、と思う。
 あの草原が龍麻の夢と同じものならば。
「…龍麻?」
「んー?」
 壬生は一度頭を振って立ち上がった。
 いつまでもいろいろなことにこだわるのは、この男と知り合ってから止めているのだ。
「コーヒー作ろうか」
「是非」
 さっと突き出されたコーヒーカップを見て、壬生は苦笑した。
「龍麻、これ最後に洗ったのいつだい…」
「コーヒーカップに聞いてくれ」
「いつか龍麻、食中毒で死ぬね」
「俺らしくていいカンジ?」
「どこが」
 会話がまわりだした。
 その時になって、ようやくあの草原の中で足りない足りないと思っていたものがなんだったのか、思い出す。
(あぁ、そうか…)
 あの草原で足りないと思ったのは―――緋勇龍麻、だ。
 自分も大概彼に凭れかかりすぎではないだろうか、と肩を竦めながら、壬生は微かに笑った。


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