LIFE 4th▲2







 さぁ、と風が吹いた。
 むせ返る草の匂い。
 その風の匂いに、あぁ、またここだ、と気づく。
「…さぁて、今日こそは果てを見てやろうかな」
 別に気負いもなかった。すでにそこから果てを目指すのは習慣のようなものだったから、龍麻はリラックスしたまま、一歩目を踏み出す。
 ―――そこは、相変わらず緑と青の世界だった。
 空は澄み渡り草は力強く生い茂り、けれど絶対にそこには他の存在はなかった。
 そこを行くのは自分一人。
 特にそれに疑問を感じたことはなかった。元々そういうことについては大雑把な考え方しかない。
 どうせ人間最期は一人だ。
 かといってそれにこだわるつもりもない。ただ、気楽なのだ。一人だと、たとえば力を制御する必要もない。
 気負いはなくとも、その歩みは速かった。
 普段ゆっくり歩きすぎの自分に比べて、この夢の中の自分はいつもその倍以上の早さで歩いている。
「今日もいい天気だねぇ」
 ぼんやりと呟いた。声を聞き取る者もいないこの草原で、そういえば過去一度だけ人に会ったことがある。
 あれが誰だったのか、もう覚えていないのだけれど。
 草原の気温は、いつもと同じで昼間は暖かかった。これが夜になれば、寒さに震え上がる。
 それでも、大して辛いとは思わなかった。
 辛いと思わないことに、「どうしてだろう」とも思わなかった。
 ―――その時。
「君はどこまで行く気だ?」
 ふと、龍麻は足を止めた。
 途端に地に逞しく生い茂る草たちが龍麻の足に絡みついたが、さして気になりもしなかった。
 歩を止めた龍麻の正面に、声の主が顔を見せた。
「…また珍しいところに」
「本当にね。まったく君といると退屈しないよ」
 壬生だった。
 誰もいないはずの草原に、忽然と姿を現したのは、あろうことか彼で、龍麻は思わず肩を竦める。
「何しにきた?」
「君を追いかけてきたんだよ」
「俺を?」
 眇めた目で壬生を見れば、彼は龍麻の手を取った。その力の強さに、気をとられる。
「行こう、龍麻」
「…」
 つかまれた手を、龍麻はぼんやりと見つめた。そういえばこんな風に壬生と接触したことはなかったはずだ。
 新鮮な気分で壬生の指を見つめた。
(迂闊だなぁ)
 声には出さずにそう思う。壬生は、龍麻が何を考えているのかなんてことはどうでもいいようだった。
「こんなところにいたら、君、つかまるよ」
「…ふぅん」
 足元を見つめれば、生い茂る草たちが、意志があるように蠢いていた。足を絡めとり今やスニーカーは完全に埋もれてしまっている。
 これでは前に進めない。
 もう捕まってる、ということは口にはしなかった。そんなことも今の壬生にはどうでもいいようだった。
「ふぅん…って。他人事じゃないんだよ?」
 どこか反応の乏しい龍麻に、壬生が苛立ったように腕を引っ張った。
 無理矢理に引っ張られた分だけ、足が動いた。地面と絡まった草から激しい音がして、気がつけば龍麻の周りの緑だけが死んでいる。
「…無茶するなよ」
「いつもは君がもっと凄いことをするじゃないか」
 壬生はどこか開き直っているようだった。いつも見える、目の奥の陰りすらもなくなっている。
「もう夜になる。こんなところに野宿なんかしたら風邪をひいてしまうよ」
「…まぁ普通ならなぁ」
 なんの気なしに呟いた言葉に、龍麻はくすりと笑った。
 普通の人間なら風邪もひくだろう。それは本心からの一言だった。
 それにしてもこんな心配をされたのはいつぶりだろうか。
 一人笑っている龍麻に、壬生はあからさまに不機嫌そうに先を歩き出した。
 相変わらず引っ張られたままの龍麻は、そのままで特に嫌がることもせずに身を任せる。
 気がつけば空は夕日に染まっていた。
 今日に限ってやけに夜になるのが早い。空に浮かぶ雲も普段よりもずっと早く風に吹き飛ばされて移動していた。
 大地近くでは、なぜかそよとも風が吹かなかったが、前を行く壬生はやはり気にしていないようだ。



 どれほど歩いただろうか。相変わらず龍麻は腕を掴まれていて、壬生はその手を放す気はないようだった。
「…壬生」
「ん?」
 すでに夜になり、辺りは闇に包まれている。この草原で頼りになるのは月明かりだけだった。
 そんな、不安になるような闇の中で龍麻は少し呆れたように呟く。
「あのさぁ。…騙せてると思ってた?」
「…どういう意味…」
 振り返る壬生の一瞬の隙をついて、手を振りほどく。
 ようやく得た自由に、龍麻は一つ安堵したようにため息をついた。
「俺の知ってる壬生はおまえじゃないってことだよ」
「……龍麻?何を言って」
 戸惑う壬生の表情や仕草は、壬生紅葉そのものだった。それ以外の何者でもなかったが、―――だが。
「俺の知ってる壬生は俺を引っ張ったりしない。ずっとそうやって歩けるような奴じゃない」
「…それは龍麻の思い過ごしだよ」
 目の前の壬生は、そう言って取り繕うように笑った。
 ザ、と風が吹いた。
 突風のようなその風に、壬生が気をとられた瞬間だった。目のくらむような光に、慌てたように空を見上げ―――夜が突如として終わったことを知る。
 呆然と空を見上げていた壬生に、龍麻が冷たい声で言い放つ。
「俺は別に普段はそんなこと考えないからやらないけど。でも俺は出来る。夜を朝にすることも冬を 夏にすることも雪を蹴散らすことも世界をぶっ壊すことだって出来る」
「…これを、龍麻が?」
 自然の摂理が無理矢理にねじ曲がったことに、壬生は驚き恐怖すら感じているようだった。
 言葉では言わずとも目がそう語っている。
「俺の知ってる壬生紅葉は、それを知ってる」
 毅然とした表情で、龍麻はそう言いきった。
 風が強い。青い空で、雲が勢いよく移動していた。それが、風の強さを物語る。
「だ…だから僕が君の知ってる壬生紅葉じゃないって言うのか?」
 一歩、龍麻が前進した。龍麻の動きに半ば合わせたように、壬生は後退する。
「壬生は俺が風邪をひくくらいなら自分は凍死するって言うよ」
「…君のことを本当に心配するから言うんだろう!?」
 そう叫びながら、壬生は少しずつあとずさっていた。
 たぶん、本能的に龍麻が怖いのだ。
 壬生の言を受けて、龍麻はニヤリと笑う。
「残念だったな」
「…何が!」
 悠然としている龍麻に、壬生が再び叫んだ。その余裕のなさに、やはり壬生ではないという確信だけが増していく。

「俺も壬生も普通じゃないんだよ」

 風が吹いている。
 草原を吹き抜ける風が、緑を揺らした。
 むせるような匂いを感じながら、気がつけば壬生の姿は消えていた。
 あるのはただただ続く緑の大地と青い空。
「…さて、行くかー…」
 まるで何もなかったかのように、龍麻はゆっくりと歩き出した。
 まだまだ果ては見えそうもなかったが、焦る気持ちはさらさらなかった。



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