LIFE 4th
風が吹いている。いつもより強い。
いつもより、と感じるほどここに足を踏み入れたことはなかったが、それでもそう思った。
走り続けながら、壬生はまっすぐ前だけを見ていた。
どうせ龍麻は、ずっと前を歩いているのだ。振り返る必要も、辺りを見渡す必要もなかった。
「龍麻!」
思わず名を呼んだ。
この場所で彼は、きっといつものようにぼんやり歩いているのだろう。決して気負いもなく、むしろリラックスしすぎだと思うような、後ろ姿で。
この草原は、どれだけ走ってもどれだけ行っても果ては見当たらない。どこまでも続く草原は果てしがなく、広がる緑と見上げると目に痛いほどの青空。
これが龍麻の心象風景だとしたら、それはどういう意味だろう。
「龍麻―!」
足の裏に感じる土の感触は柔らかい。雑草の生い茂るそこは、都会のアスファルトとはたしかに違っていた。いっそ走るのが嬉しくなるような、優しい場所だ。
それでも、立ち止まればその草が自分を飲み込もうとする。怖いところでもある。
「龍麻!いいかげんに…」
風が強い。走る壬生の身体に、その風は進むのを阻むような強さで吹いていた。
「龍麻…!」
「何どーしたん突然」
それでも必死に走っていた時だった。突然真横から、彼が顔を覗かせた。
思わず声も出ないほど驚いていれば、龍麻が首をかしげた。
「なんだよー何、なんかあったん?」
違和感は何もなかった。首をかしげる動作も、その口調も、彼そのものだった。
ほんの少し前に見た、彼の偽物では有り得ない。
「…いや、別に」
風は相変わらず強かった。吹く風にあおられて、生い茂る緑が揺れて音をたてている。
立っていてもその風に邪魔されて、まっすぐ立っていられない。
「ふうん…ま、いいか。なー壬生、ちょっとつきあえよ」
「…どこへ?」
「この風の原因に会いにいこう」
龍麻は、凶暴な風にも顔色一つ変えない。まるで龍麻の周りだけ風が吹いていないような錯覚すら覚える。
「原因…?」
「そう」
歩き出す龍麻の後を、壬生は風に目を細めながらついていった。
何があるのか、想像もつかない。龍麻の隣に立って、壬生は少し困ったように肩を竦めた。
どうせこの男がやることは、普通ではないのだ。だからとりあえず、龍麻にわからないように深呼吸をして、準備だけはしておこうと思った。
「あ、あれだ」
しばらく進むと、その先から溢れるように何かが光っているのがわかった。
それが何か見極める間もなく、龍麻が走っていく。
事も無げに走りよる龍麻を見て、壬生は絶句した。あの光から発せられる圧倒的な力はなんだろう。
「何をしにきた」
聞こえた声に、壬生は己の耳を疑った。それはたしかに龍麻と同じ声のようだった。
「様子見に」
あっけらかんと答える龍麻の視線の先にいるのは、どうやら人らしい。あまりに眩しいからまともに直視は出来なかったが、それでもそっと見れば、たしかに人の姿をしているように見えた。
「風、鬱陶しいなぁと思うんだけど」
「おまえの言うことなどきかん」
「いい度胸だー」
ふと、ここが龍麻の夢の中なのだと思い出す。
過去ここで人に会ったことはほとんどないと言ったはずだったが、ではあれは誰なのだろう。声は、たしかに龍麻と同じ。だけれど。
「…龍麻?」
「ん?」
不審に思って声をかければ、壬生の声に反応したのはたしかに緋勇龍麻だけだった。
光を纏った誰かは、微動だにしない。
「…あれは」
「あぁ、あれ!あれね、イエロードラゴン」
「イエロー…?…え!?」
龍麻の言葉に、壬生はしばらく硬直した。それからゆっくりと龍麻と、光を纏う龍麻いわく「黄龍」を見比べる。
「だ、だって龍麻、黄龍…」
「俺は器っすよ器」
混乱している壬生の横で、龍麻がへらへらと笑う。
そういえば、彼自身が自分は黄龍だと叫ぶから忘れていたけれど。彼は「器」なのだ。
そしてあれが、あそこで不機嫌極まりない様子で光り輝いているその人が黄龍…だということだろうか。
「で、でも黄龍って龍脈の力のことだろう?」
「別にそれが人の形して迷惑に輝いてたっていいじゃん?」
壬生の動揺の理由を、龍麻はどうやらさっぱり理解していないようである。それもそのはずではあった。
たぶん、龍麻の中ではそれが当たり前だったのだろうし。
「とにかくさー、風、せめてそよそよー程度にしてくんないかなぁ」
「ではこの草原の果てを教えろ」
「残念ながら俺も知らないんだなこれが!」
龍麻の一言一言に、黄龍の機嫌が悪くなっている―――と、わかるのだが。
だからといって壬生にどうこうできるものでもない。黙って遣り取りを見ていると、ふと黄龍と目があったような気がした。
「おい」
「ん?」
「それは誰だ」
指をさされて、壬生は思わずうろたえた。それがたとえば普通の人間であったらさほど驚くこともうろたえる必要もなかったが、相手が黄龍となると話は別だ。
「あー、壬生だよ壬生。壬生紅葉。少女マンガのヒーローのような名前だろう」
「……たーつーまー…」
何も今この状況でそういう紹介をしなくてもいいだろうと、思わずうめけば、龍麻は何やら御機嫌のようである。相変わらずへらへら笑うその顔に、起きたらとりあえず蹴りをいれてやると心に誓う。
「珍しいな。おまえのような馬鹿が他にもいたか」
「まーいわゆる類友?」
「…風を止めるのであれば果てを教えろ」
何やら聞き捨てならないことを言っていたようだったが、黙ってきいていれば、突然黄龍の表情が険しくなった。
「おまえの命、何度助けてやったと思っている」
「…はてさてー。3回くらい?」
その言葉に、壬生は少し目を細めた。三回、命を助けられた、ということはそれだけ危険な目に遭ったということだろうか。
「でもいいじゃん、ここ安息の地ってカンジだろ?」
「…外に出れずに何が安息だ」
睨みつける目は、はっきりと龍麻を射抜いている。その迫力に、脇で見ているだけの壬生が思わずよろめいた。
だが龍麻は、さっぱりこたえていないようだ。
「いいんだよ出れなくて」
と笑う。
その言葉に、黄龍が言葉を失っている。
「好きなだけ暴れても走りまわってもいいんだぜ。いい場所だろうここ」
(…もしかして)
この草原が、果てのない草原が黄龍の器としてのものなら。黄龍がどれだけ体内で暴れても制御できるだけのものならば。
それはようするに、そのまま、器の広さを意味しているのかもしれない。
果てがない。果てがないから、どれだけ暴れてもどれだけ大きくなっても全てをその中に圧し留められて。
(…なんだかなぁ…)
ため息が出た。とんでもない相手と、自分は知り合ってしまったのだと今更気づく。
本当に今更だ。
こんな、夢の中にまで割り込んで。
―――そういえば、昔龍麻も自分の夢の中に無断で入り込んだことがあった。
(お互い様、かなぁ…)
「ほら、さっさと観念しとけよー」
普通、黄龍相手に言うだろうか。観念しろ、だなんて。そんな命知らずなこと。
でもそれが出来るのが、じぶんの知っている緋勇龍麻、だ。
「…あれ、そういえば」
「ん?」
「さっき僕の前に出てきた龍麻って…もしかして」
「あ、何。壬生の前にも出たのか!?わぁ恥晒しー!」
黄龍の視線が、しっかりと壬生をとらえた。一瞬緊張したが、隣で騒ぐ龍麻の声に、思わず脱力する。
「物真似下手なんだからさぁ、そういう冗談は俺の前だけにしとけよーあーやだやだ!」
緊張感も何もない。まるで友達と会話をするような、友達だからこその無遠慮な言葉だ。
黄龍はしばらく黙っていたが、ふと一つため息をついたようだった。
途端に、風がはっきりと弱まった。
「…行け、おまえらがいるとうるさくてかなわん」
「…あ、れ?」
寝苦しさに目を覚ませば、龍麻が窓を開けていた。
途端に入り込む、冷えた風に龍麻が安心したようなため息をつく。
「…龍麻」
「風、弱くなったなぁよかったよかった」
夢が、たしかに夢で。でも現実であると思わせるような言葉を、なんでもないことのように呟く。
壬生はしばらくその境界線を探そうとして、それから頭をかいた。
「…まぁ、いいか」
たとえば彼の中には果てのない草原があって、そこには龍麻本人と黄龍がいる、なんてこと。誰に話したところで信じてはもらえないだろう。
それでも、龍麻を中心に集まっている仲間であれば信じてくれるかもしれない。
それならそれでいい、と思った。
自分だけが知っている、龍麻の中身、というのも面白い。
「…龍麻」
「ん?」
「…たまには自由にしてやってもいいと思うけど」
「してるじゃんよく。ほらどかーんて」
龍麻の言葉に、壬生はもう笑うしかなかった。
たとえば、龍麻は三回死にかけたことがあるらしい。それがどんな時に起こったのかは知らない。過去を、そこまで知りたいとは思わない。
でも彼は、決して弱気にもならずに、やけに逞しくはた迷惑に生きている。
結局、自分が好きだなと思う彼は、そういう甚だ迷惑で生命力の逞しい人間なのだ。
たぶんこれからも、殺しても死なないのだろう。
それが彼の強さだ。
LIFE FORCE。命の力で。
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