十:収穫

 金魚の屋敷で目覚めたその日、僕は金魚に連れられて、家の外へ出た。
 異世界のはずなのだが、家の外の町並みや風景は、僕の世界と変わらぬ尋常さに見える。
 金魚はくるりと振り返ると、言った。
「今からこの町を案内してあげる。これからは、遠夜が私の家以外の場所に突然入り込むことはないけれど、こちらへ通えるようになったのだから、いろいろと知っておくことも必要だからね」
 僕は頷く。
 金魚が住む世界が、どんなところなのか、知りたかった。
 これからきっと、何度もおとなうであろう、この地に。




 金魚の屋敷は、家の軒が連なる普通の町の中にあった。
 大きな屋敷ではあるけれど、改めて見ても普通の町家の家のように思える。
「ここは雲乃絶間町(くものたえまちょう)。この土地では一番広い町だ。」
 大路へ出て、金魚に連れられて歩く。人気はない。
「町なのに、人の気配がしないね」
「そりゃあ、ここは俗世とは違うからね」
 ふふと金魚が笑う。
 そうか………。
「じゃあ、このたくさんの屋根の下には一体どんな人達が住んでいるんだい?」
「通りを歩き回らなくたって、住んでるものはいるよ。ちゃあんとね」
 だけど僕が見る限りでは、町の住人はひっそりと鳴りを潜めているように思えた。
 店屋もあるらしい。
 それらしい暖簾や看板も下がっている。
「店を覗いてみてもいいかい?」
 尋ねると、金魚は目を細めて、
「ああ……、だけどこの先長いから、次に来た時にするといいよ」
 と、言う。
 僕は素直に従った。
 なにしろ僕はここでは異邦人なのだ。その上、僕の世界の常識はまるで通用しなさそうな、とつ国だ。金魚の言う事を護っていれば、間違いはないだろう。
 金魚に従って歩いていると、町並みが切れ、また大きな通りが現われた。
「ここから先は、焔御前町(ほむらごぜんちょう)。お社様の門前町だね。町の名前は、お社様の巫女の朱雀さんにあやかってついた名だよ」
「朱雀……。四神のひとりだね。炎を司る、南の守護神」
 青竜が言っていた「鳥」とはその朱雀という人のことだろうか。
 焔御前町にも人気は感じられなかった。じきに大きな鳥居が目に入る。
 僕が初めて金魚と出会ったあの、参道が見えて来た。
 門前町らしく、鳥居の前の通りには店屋もあるようだ。ただどんな店なのか僕にはわからなかった。下がった看板や暖簾を見てもさっぱりわからない。
 鳥居をくぐり、参道を歩くと直に石段に当たる。
 僕らは並んで石段を上がった。
 社のある場所は山というほどではなく、小高い丘とでもおうか、そのため、石段もさほど登らずに上が見えた。
 両脇に、石の台座があり、そこに………。

「こら、漬け物石ども」

 金魚が、そう、声をかけた。
 僕には石造りの何かの動物の像が、台座の上に載せられていると見えたのだが、声をかけられたその二体の像は、その瞬間にぴくぴくと動いた。
 次に、石としか見えなかったその像が身体を起こし、こちらへ向き直ったと見た時にはもう。
 その二体は、真っ白な毛に覆われた小動物と化していた。
「わあ、家刀自!」
 青い飾り紐をつけたそれが声を出す。もう一方の赤い飾り紐の方が、うんと、伸びをした。
「おう、今日は男連れで散策かよ。いい御身分だぜ」
 …………強いて言えば狐に似ているかな。
 僕はそう思う。
 稲荷神社などにある、狐の像がそのまま動き出したらこんな感じかもしれない、という。
 本物の狐とは似ても似つかない姿ではあるが。
 まるで可愛らしい狐の人形が動きだしたかのようだ。
「朱雀さんは」
 金魚が尋ねると、赤紐の方が尖った口を持ち上げて、口のはしでにやりとした。
 僕は呆然とそれを眺めた。
「朱雀が睨んでたら、俺達もこんなに弛んじゃいないぜ」
「白虎が来てるんだよー。だから小一時間は出て来ないよ。ゆっくり昼寝できるねヨウ?」
「ばーか、ハヤ、小一時間で済むかよあの虎野郎が……」
「そうかい、じゃあ邪魔しちゃいけないね」
 金魚はそう呟いた。
「お前達、腹は減ってないのかい?」
 そう、金魚が尋ねると、二匹はそろって顔を緩めた(のだと思う、おそらく)。
「虎野郎が土産を持って来てくれてよ。腹一杯だぜ」
 ヨウと呼ばれた青紐が前足で白い毛に覆われた腹をぽんぽんと叩いてみせた。
「こーんな、こーんな、お頭つきの船盛りと、シシ鍋! 俺もヨウも腹ぱんぱんになるまで食べたんだー」
 ふわふわの尻尾をぷるぷると揺らして、ハヤと呼ばれた赤紐が嬉しそうに身をよじった。
「可愛いね」
 思わず僕でさえ呟きたくなるような、愛くるしい様だった。
「そうだろう? 今度来た時にでも遊んでやっておくれ」
 微笑んだ金魚の向こうで、ヨウが腹を出して横になった。




 ヨウとハヤに別れを告げて、僕達は来た道を戻り、参道から向かって左の道へ進んだ。しばし歩くと、河原が見え、川と、渡し場が目に入った。
「あれは竜鱗川(りゅうりんがわ)。あちらの渡し場で船に乗って、対岸へ渡ると傾城河原(けいせいがわら)というところにつく」
「傾城……」
 とするとやはり、と思っていると金魚が頷いた。
「そう、花街だよ。傾城河原水乃町(みずのまち)と、風乃町(かぜのまち)。大門を潜ると一本道の大路の両脇に柳と桜の木が植わっていてね、柳側に水、桜側に風、の町があるのさ」
 川の対岸は静かにけぶっていてよく見えない。
「対岸には、竜鱗川から立ち上る霧が……鱗霧(りんむ)というのだけどね、こちらからの視界を遮るんだ。夜になると、花街の灯りがその霧を透かして浮かび上がってくる。中々風情のある眺めだよ」
 そして、と金魚は向き直った。川のこちら側を指差す。
「町があるのがわかるかい?」
 指さした先に、確かに町が見える。
 様々に、色鮮やかな幟も。
「あそこは鱗乃河原町(りんのかわらまち)。私達は河原町と呼んでいるけれどね。見せ物小屋や、芝居小屋がある……。遠夜、1人であんな場所へ行ってはいけないよ」
 振り向いた金魚の硝子のような瞳が僕を映した。
「このあたりは、川を挟んで、この土地でも悪所と呼ばれる場所だ。遠夜のような俗世の若い男が1人で迷い混んだら、どんな目にあうか知れない。河原町に行きたかったら、私に言うんだ。連れて行ってあげるから。………花街には、行かなくてもいいね?」
 そう、囁いた時、金魚の瞳は少し伺うように僕を見た。僕はそれを見て、なんとも言えない…不思議な気持ちになる。
 それは、異世界の、正体すらもわからない、見た目だけは小娘のような、しかし底知れない面を持つ、金魚のようなひとが、まるで本当の小娘のような顔を僕にその一瞬、向けて来たから。
 その一瞬、僕等の気持ちが一点で通じたような気がして。
 僕は知らず微笑んで、そして小さく頷いた。
「僕が花街に行っても、仕方がないよ。それよりも金魚と一緒にいる方が楽しいしね」
 そう応えたら、彼女はぱっと瞳を見開き、
 そして次に、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
 彼女は僕の手をぎゅっと握ると、そのまま手を取って歩き始めた。
 冷たくて滑らかな彼女の手に握りしめられた、僕の手首に血がどくんどくんと流れ込む。動悸が早くなっているらしい。
 僕はただ、どうしようもなく金魚に惹かれていくのを、どうにもできなかった。




 僕達は、川に背を向けて焔御前町を真直ぐに歩き、参道から向かって右側へ進んだ。
 町の終わりに田圃が見え、その先に大きな山が見えた。
「あの山は虎牙山(こがさん)。豊かな山で、実のなる木や山菜、茸も取れるし、動物がたくさんいる。山の名は白虎にあやかってつけられた名前だ」
 素晴らしく眺めのいい山だった。今まさに紅葉が盛りで、目で見ても楽しめる美しい山だ。
「いい眺めだね。あれを眺めながら畦道を歩くのもいいものだろう?」
 田圃はもう収穫が済んでいるらしく、地面に稲の切り株ばかりしかなかったが、鮮やかな紅葉の山と、曼珠沙華が咲く畦道の風景は本当にのどかで美しい。
「あの山には温泉も湧いているんだよ。傾城河原の女郎たちに、馴染みが汲んで土産にするほどの泉質で、『美人の湯』なんだそうだ。飲んでよし、浸かってよし…」
 金魚と、この世のものとも思えない美しい風景の中を、手を繋いで歩いた。
 なにもかも夢のようだと思う。
 いや、ここは異世界なのだから。
 夢のようでも少しもおかしくはなかった。



 やがて、雲乃絶間町がまた切れて、大路を挟んで別の町があるのが、畦道からも見えた。
「あそこは神亀町(じんきちょう)。職人たちの住む町だ。町の名前は玄武にあやかって、ね。神亀町の背に見える、あの山は神亀山(じんきさん)。険しい山で、登るのは難儀だけど、職人たちが使う材料なんかは、あの山にあるそうだよ。そのために、山の梺に職人の町が出来たんだ」
 中国の山水画に出てくるような、禁欲的な姿の山が、僕らの前方にそそり立っていた。
「私はあの町の仕立物屋に着物を頼んであって、今日それが出来上がるというんだ。ついでに引き取りに行ってくるから、遠夜、この辺りで待っていてくれるかい?」
「僕も一緒に行こうか?」
 その申し出に、金魚はゆるゆると首を横に振った。
「職人ばかりの町で、住んでるものたちも気難しいのが多いから、次にした方がいいね。すぐに戻るから、すまないけれどこの辺りで待っていてくれる?」
 そう言われては無理について行くわけにもいくまい。
 僕は頷くと、笑顔で金魚を見送った。
 振り向けば、左手には勇壮な神亀山。右手には優美な虎牙山。確かに素晴らしい風景で、待つのは苦にならないだろう。僕は畦道にしゃがんで、田圃の為の用水路を眺める。
 見た事もないような、美しい色の蛙がひょいと目の前を飛び跳ねていった。




 さくさくと、すぐ傍で草を踏む音を聞いたのは、田圃を少し歩いて虎牙山の裾野に踏み入ったときだ。
 金魚が戻って来たのかと、僕は振り向いた。

 だが、そこにいたのは金魚ではなかった。

 農作業をしていたのだろう。
 絣の着物に、脚絆を付けてしょいこを背負い、姉さんかぶりをした若い娘が、僕を見つめていた。草鞋の足や、手甲をつけた手が泥で汚れている。
 娘は真っ黒な髪と目に、白く浮かんだ頬で僕を見つめている。
 僕も面喰らって、無言で見返す形になった。
 娘の目は吸い込まれるような闇色で、僕は少し怯んでいたかもしれない。
 彼女は音もなくまばたきをした。
 横にするとぱっちりと目を閉じる、西洋人形のように。
「種………」
「え」
 ふうっと、唇を開いて、娘は言った。
「種撒きを、手伝ってもらえませんか」
 彼女はそう言うと、僕に手を差し出した。
「え………」
「少しも終わらないので、今年も収穫できずに冬が来てしまいそうなのです。畑に種を撒き終えないと、いつになっても育たなくて………ねえ、手伝ってくださいな」
 この手をとれと言う意味だろうかと、僕は目の前に差し出された娘の手を見た。
 異様な感じは否めない。
 僕は金魚を待つ身であるし、彼女に相談もせずにこの申し出を受けてしまうと何かよくないことが起きそうな、そんな気がした。
 僕は、軽く首を横に振った。
「今、人を待っているところなので、それはできません」
 娘は黒い目を陰らせた。
「そんなことおっしゃらずに、助けると思ってお願いします。このとおり」
 差し出した手を引っ込めると、娘は僕を拝んでみせた。
「やめてください……拝まれても、できません」
 僕は少し、後ずさる。
 黒い色の目立つ娘は、優美で色鮮やかな虎牙山の風景の中で浮き上がっていた。
「ほんのちょっとでいいんです。すぐにお帰ししますから。ほんのひとにぎりの種を撒くのを手伝っていただけるだけでいいんです。お願いします、お願いします」
 娘は僕ににじり寄ってくる。
 この異世界において、僕は初めてこの娘に異形を感じた。
 相手が人間の娘なら、僕の心にも哀れみが感じられたのだろうか? 
 だが、例えば金魚の屋敷の縁の下にいた、人語を喋る鶏に対したときのような気持ちは沸き上がってこない。あれだって異形ではあったが、恐ろしくはなかった。
 娘がもう一歩踏み出したときに、透き通った声がそれを遮った。
「ヨル、おやめ」
 黒い娘はぴたりと立ち止まった。

 金魚だった。

 振り向いた黒い娘−−金魚がヨル、と呼んだ−−は、黒い瞳を見開いたあと、金魚の足下にひれ伏すように這いつくばった。
「ヨル、それではいつになってもお前の畑に収穫は訪れまい」
 金魚はひどく哀しそうな眼差しで彼女を見下ろす。
「家刀自さま、ヨルを哀れとおぼしめすなら、どうか、どうか………」
「お前は哀れさ。だが、罪を忘れて同じ手で助かろうなどと、お社様がお許しになると思っているのかい? 何のためにお前の畑だけが枯れているのか、お前は忘れたのか?」
「罪………」
 ヨルはつぶやいた。そして、闇のような瞳で金魚を見上げた。
「家刀自様だとて………俗世の男を、かように、この世界に閉じ込めておられるではないですか」
 地の底から湧き出るような黒い………声色だった。金魚は眉一つ動かさない。
「遠夜が望んでくれたこと。遠夜が望まなければ道は閉じ、きっと二度と遠夜はこの世界には来てはくれまいね……。お前の男とは違う。私は」
 金魚の大きな、硝子のような瞳がそのとき、きゅうっと。
 凛と。
 ヨルを見据えた。
「私は、お前とは違うのだよ。ヨル」
 ヨルは雷に打たれたようにまた、ひれ伏すと。
 やがて低い嗚咽が漏れ聞こえて来た。
「ヨル。お前は男を騙して、男の心をないがしろにしてこの地に止め置いた。そのために男の魂は死んでしまったのだよ。お前がただ一度でも男の願いを聞き入れて、男を帰してあげたならば……もう一度、会いにきてくれたやもしれないものを。お前はその別れを恐れて男を本当に閉じ込めてしまった。だから」
 娘には残酷な事実なのであろう。金魚はだがしかし静かな口調で言う。
「男は死んでしまったのだよ、ヨル」
 低い嗚咽を漏らしながら、ヨルの肩が震えている。
「……どうして収穫がないのだと思う? ヨル、それは、お前が男にした仕打ちを本当に悔いてはいないからだ。男の魂がこの地で死んだ……俗世の妻のもとではなく。だから自分のものになったのだと、お前は心の底で思っているだろう。それは大きな間違いなのだよ。なぜなら男の魂はここで死に、お社様がそれを俗世にお還しになったのだから。お前の家にあるのはただの肉の塊。お前はそれを肥やしにもせずに家に置いてあるだろう。お前がその所行を心から悔いて、その肉を畑の糧にできたならば、収穫は訪れるはずだよ」
 ヨルは小刻みに震えている。
 やがて、低い、闇に染まったような声で、応えた。
「私があの人の肉を糧に収穫を迎えれば……俗世に還ったあの人の魂は再び肉体を得て、妻の元へ戻るのでしょう………誰が…………誰がそのようなことをするものか…………!」
「ヨル」
 金魚は言う。慈愛に満ちた声で。
「お社様はお前を哀れと思し召しだ。だからお前から畑を取り上げない。もし………お前の強情にお社様がお怒りになったら、そのときはお前だけが消えるのだよ。男は妻の元に還るだろう」
 真っ黒な髪を地面に散らして、ヨルは這いつくばって震えている。
 金魚は首を横に振ると、僕を見た。
「戻ろうか、遠夜。そろそろ夕刻だ」
 僕は頷くと、もう一度ヨルを見た。
 彼女の這いつくばった腕と足は、地面にのめり込んで一体化しているように見えた。土から手足が生えているようだ。
 這いつくばって震えているのは、動けないせいなのだ。
 その場を去る僕等の背中に、ヨルの呪詛に満ちた嗚咽が投げかけられた。





「……俗世で、妻が男の帰りを待つのはほんの一日」
 金魚が呟く。
「この世界と僕の世界では時間の流れが違うと言ったね?」
「そうだよ」
「じゃあ………さっきの、あの娘(こ)は、その間ずっとああして?」
「そうさ」
 長い袖を払って、金魚は言った。
「ヨルは、俗世で妻が夫の帰りを待つ一日の間、この世界で何百日もああして苦しんでいるんだ。だけど、あの娘はどうあっても男の身体を手放さない。魂は、もう妻の元へ戻っている。あの男の身体を肥やしにして、畑に収穫が訪れれば、男は妻の元へ帰れるのだが、ヨルがそれを許さない」
「畑に収穫がないと、どうなるんだい?」
 ヨルという娘は、男の身体を肥やしにするのは嫌だが、畑の収穫は迎えたいと思っているように、僕には思えたから。
「つとめが果たせない。ヨルのつとめは畑を耕し収穫を迎える事。なのに決まりごとを破ってしまったらもっと辛い思いをしなくてはならないんだ。ヨルは俗世の男に種まきを手伝わせて、俗世に還さず、収穫するまで、いや永遠に、自分のところにとどめ置こうとした。それだけでも大罪に値はするのだがね」
 決まりごと…の下りは、鶏のときにも言っていた。
「今は?」
 僕の言葉に金魚は苦笑する。
「今も十分辛いだろうが、お社様はヨルに機会を与えてさしあげたのさ。ヨルに男を還してやれることができたら、もっと上の道へ導いてやろうと……」




 僕には、金魚の言葉も、この世界の理も、その全てを理解することは難しかった。
 ただ、そのことの意味はうっすらとわかったような気がする。
 僕が望む限り、僕はこの世界にとどまれるが、金魚が自ら引き止めたり、僕をとどめ置きたいばかりに強制的に閉じ込めたりする事はできないのだ。
 そして、金魚はヨルに同情していた。
 なんら強制力を持ってはいけない彼女に。
 僕は、君が望むならば僕も望んでこの場所にいよう。
 もう二度とあちらの世界へ戻れなくてもいいからと、
 唇に乗せてしまいそうになった。
 だが、金魚はそれを察したのかすっと掌をあげると。
 僕の口を指先で押え、
 ただ。
 首を横に振った。


「望むのは簡単。だけど会いたくなったら会いに来てくれるほうが嬉しいよ。人の心は変わりやすい。誓ったあとに失うのは辛いからね」


 そんなことはないよと。
 口に出して言うのは簡単なのだと、僕も思った。
 母のために金魚のところで一生を過ごす事をためらった僕に。
 一体どうしてそんなことを誓える資格があるというのだろう。


「何、時間はたっぷりあるのだから」
 そう、呟いて彼女は笑みを見せた。
「なにも今からそんなに真剣に考えることはないのさ。遠夜、また遊びに来ておくれ。遠夜が遊びに来たいと思えばいつだって、ここには来れるのだからね」
 そうだねと、僕は微笑んだ。
 この世界には時間はたくさんある。
 そして、いずれ道も決まるのだろうと。


「また、君に会いに来るよ」