番外3:焔御前町

「朱雀さん」
 境内から声をかけられたのに気づいて、お社の巫女、朱雀は盆を置いて振り返った。昼のお勤めで、お社様の御前に昼餉を捧げてきたところだ。収穫の季節が終わったので、このところ毎日たくさんの実りが社殿には届けられており、それを朝、昼、晩と、供えては取り替えるのも朱雀の仕事である。
「家刀自様?」
 そう応えてから、境内へ出る。
 社殿の階段に腰掛けて、金魚がこちらを観ていた。
「家刀自様、何か火急のご用ですか?」
 漆黒の髪を御幣できりりと一つに結び、長い前髪の奥から、切れ長な、髪と同じ闇色の瞳がこちらを見つめる。青白いほどの面に、唇と、眦にわずかに差した、朱雀の色である朱紅が、黒と白だけの世界にそこだけ色を落としたかのように、たいそう鮮やかだ。
 お社様の巫女さまは、大層な美形だが、とても情のきついお方との評判。闇色の髪と目がくっきりと浮き立つ、透き通るような美しい白肌ではあるが、その色がまさに彼女の潔癖を現わしているようだ。
 金魚はふっと笑みを漏らすと、言った。
「火急と言うかね……、この頃、御前町の方へは顔を出してないのかと、ね」
 そう言われて、朱雀は柳眉を寄せてこちらを見つめて来た。
「まあ朱雀さんが、御前町の子供屋を任されるのは荷が重いのは重々承知なのだがね、このところ白虎もあまり顔を出さないようだし、七曜兄様にいたっては、天枢に身替わりを頼むありさまだから。朱雀さんがこのへんで顔を見せて、少し締めてくれるとありがたいと、そう思ったのだよ」
 潔癖な巫女は、眉根を寄せて、嫌だという表情をありありと美しい面に浮かべる。
「子供屋のある辺りで、何か騒ぎでも?」
「御前町の騒ぎはいつものことだけれどね」
 金魚は苦笑を漏らした。
「山科屋の猫が、臥せっているようなのだよ。朱雀さんに話を聞いてやって欲しくてね」
「山科屋の猫というと、からす丸ですか」
 焔御前町の名前を持つ町で、おのれの管轄であるから、どんなに気が進まなくても、一応抱えられている子供のことはちゃんと把握しているのが、生真面目な朱雀らしいと言えば言える。
「そうそう……。芸のない源氏名だね、何度聞いても」
 朱雀は先端がほんのり紅に染まった白魚のような指先を顎のあたりにあてて、考え込むような仕種をした。
「黒い毛並みのからす猫だから、からす丸だと。化間(ばけま)の栗太郎が言っていたかね。そういや、栗太郎は犬だったか。毛並みが栗色だからとか。あそこの子供はみなあんな有り様だよ」
「わかりました。顔を出してみましょう」
「そうかい、助かるよ。ありがとう」
 金魚はにっこりと笑み崩れると、立ち上がった。長く垂らした帯が風に微かに揺れる。
 朱雀はそれを見送ったあと、もう一度、考え込むような顔をした。




「ヨウ、ハヤ」
 朱雀は緋の袴である巫女の装束の上から、白い、道行に似た和装の外套を纏い、外出の準備を終えると、台座の上に丸くなっている結界狐の二匹を呼ぶ。
 呼ばれた二匹は耳をぴくぴくと揺らす。
 途端に石像が白い小動物の姿になる。
「おう、朱雀。出かけるのか、珍しいな」
「どこに行くのー。おれも一緒に行きたいな」
 伸びをしながら尋ねてくる二匹に、朱雀は切れ長な目を当てると、言った。
「ついてくるか? 御前町の山科屋だぞ」
 そう聞いて、二匹は動きを止めると。
 慌てて台座の上に正しい姿で座り。
「朱雀の留守はおれたちがちゃんと護らなきゃな! なあハヤ!」
「そうだよね! 朱雀、気を付けて行っておいで!」
 と、もう送りだす気満々になっていた。
 朱雀は軽くため息を逃がすと、「行ってくる」と呟いて石段を降りた。




 川向こうの河原には花街があり、遊女達がいる。
 だが、お社様の門前町である焔御前町には、子供屋が軒を列ねている。
 俗世で言う所の『陰間茶屋』というやつだ。
 ここには普通に春を売る少年である『陰子』と、河原町の芝居に出ている『舞台子』などが置かれている。総称して『陰間』と呼ぶのだが、子供屋と言っても、下が13才くらいの者から、上は果てしないというのが実情だ。
 花も恥じらうような美少年もいれば、花も枯れ果てるようなむくつけき大人も「子供でござい」と言って、派手な女装にヒゲのそり跡の浮くような化粧をして出迎えるというわけだ(こういうのを本当の子供の陰間に対して化間などという)。
 焔御前町と、朱雀にあやかった名がついている以上は朱雀の管轄ではあるが、潔癖な巫女にこういう場所の管理は酷と、花街を預かる白虎と、芝居町を預かる七曜が折半で面倒をみているようなところがあるのだが、どちらも陰間や化間に辟易はしており、おのずから管理もおろそかになるというものだ。
 さて、家刀自から直に頼まれたとあっては、朱雀もあまり不精をしているわけにもいかない。
 それに、山科屋のからす丸ならば、心当たりもなくもない。
 朱雀は意を決すると、下の鳥居の向いに連なる子供屋の軒下を眺めた。




「ああらあああ!」
 暖簾を潜った途端に、地鳴りのような裏声が降ってくる。
 朱雀はこめかみを押さえながら、顔を上げた。広い板間になっている場所に、暖簾を潜ってどかどかと現れたのは……
「朱雀サマだわ、朱雀サマ!! ねえ女将さああん! 朱雀サマがおいでよ!!」
 化間の栗太郎だ。
「……栗太郎。お前、いつまで店に出るつもりなんだ」
 栗太郎は、茶地に手鞠の柄の振袖を着て、金糸の入った太い帯を締めて、ヒゲの浮いた白粉顔を押さえて、身体をくねらせた。髪は御丁寧に娘髷だ。
「やあだ、朱雀サマったら、あたしみたいなのでも好きって言ってくださる御贔屓が、そりゃあたくさんいるんですのヨオ」
「……………」
 どんな御贔屓だか知りたくもない。
 と思いながら、朱雀は出て来た女将を観た。
 女将らしく髪を結い上げて、落ち着いた着物に身を包んだ老女に見えるこの人物も、男だ。
 お楽(らく)と呼ばれている。正体は狢(むじな)だ。
 お楽は皺に白粉がめり込んだ頬に手を当てると、小首を傾げて言った。
「朱雀サマ、からす丸に会いに来てくださったのォ?」
「家刀自様から聞いたんだ。臥せっているそうじゃないか」
 切れ長な目で見返してそう、言うと、お楽は身体をくねりと動かした。
「相変わらず美形ねえ……。朱雀サマったらどうして女なのかしらあ。男だったら、絶対、美い男だわ。その目、そのお声。凛々しくッてたまんないわあ。ねえ今度、男装束してみない?」
「やあだ女将さんたら、それって倒錯ゥ!!」
 栗太郎がくねくねと嬌声をあげる。
「……………」
 ふう。と軽くため息を逃がしてから、朱雀はしんぼう強く言った。
「…………で。からす丸は?」
「からす丸は二階にいるわよお。実は困っちゃってるのよねえ、だってあの子、稼ぎ頭だし……。やつれちゃって、美少年が台なしだワ」
「邪魔するぞ」
 二人をかわして、朱雀は板間に上がると、手前の階段を登った。




 ここは基本的には置き屋と座敷を兼ねている場所であり、子供達は呼ばれれば外へ出向くこともあるし、ここへ来た客を部屋で取ることもある。からす丸は売れっ子なので、二間の自室を貰っており、今は、奥の狭い部屋に布団を延べて横になっていた。
 からす丸は、やつれているとはいえ、相変わらず美しい容貌で目を閉じ、横になっていた。
 真っ黒で艶やかな黒髪と、細い筆ですっと描いたような美しい眉。そして、閉じた目の長い睫も艶やかに黒い。その大きな目を開けば、瞳の色は黄金だ。
 この容貌と、気紛れな性質に捕われる客は多いという。
 だが、気侭な振りの裏側は意外に孤独で、独りになるとひっそりと無口になってしまう。
 そういうところがまた、客にはたまらないのだそうだが。
 朱雀は枕許に座ると、そっとからす丸の寝顔を覗き込んだ。
 やはりやつれてはいるようだ。目の下あたりに痛々しい隈が浮いている。
 気がついて、脇にある桶の手ぬぐいをしぼると、額に乗せてやる。熱はない。
「………」
 ふっと、からす丸が目を開いた。黒い縁取りの黄金の瞳が、朱雀の白い面を映す。
「朱雀サマだ……」
 彼はこぼれるような笑みを見せた。
「からす丸、具合が悪いというが、どうかしたのか?」
 眉を寄せて覗き込む彼女を、からす丸はまじまじと見つめた。
「ううん、大した事ないんだよ……。でも朱雀サマ、あたいの見舞いに来てくれたの?」
「そうだ。家刀自様も御心配なさっておいでだったぞ」
「え、」
 家刀自の名が出ると、からす丸はぱあっと白い頬に血を登らせた。
「……家刀自様、あたいのこと……何かおっしゃってた?」
「いや、お前の具合が悪いから、見舞いに行って欲しいという他は」
「………………」
 からす丸は布団を引き上げると、顔を隠すようにして目だけでこちらを観た。
「………このところ……」
 朱雀は少し、目を伏せると呟く。

「……白虎が、来ないせいか……?」

「白虎サマ?」
 からす丸は黄金の瞳を見開いた。
「お前……、白虎が来なくて寂しいのだろう? それで患いついたのでは?」
 病人相手に、私は何を……と、思いながら、口をついて出た言葉はもう飲み込めない。
「……………」
 からす丸は布団から顔を出すと、首を傾げてみせた。
「どうして白虎サマって?」
「どうして………って……」
 以前、下の鳥居の前で、からす丸が白虎を見送っているのを見た事があったから……もっと言えば、その後、辛そうな泣き顔で、店の暖簾に走り戻ってしまったのを見たから……だ。
「白虎を好きな、陰間も、花魁もたくさんいるからな……お前、辛いんだな」
「………朱雀サマも、辛い? 白虎サマの想われ人でいるのって、辛いの?」
 からす丸は身体を起こすと、朱雀を覗き込むようにして、言った。
「……私は、別に…………白虎のことなんて……」
「白虎サマが会いに来るのって、迷惑?」
「………………」
 本心では迷惑なんかではないけれど、来てくれて嬉しいとは口が裂けても言えないのが、また朱雀の朱雀たるゆえんであった。
「ねえ、朱雀サマ………」
 からす丸は掛け布団をのけると、朱雀ににじりよって、その白い細い指を取った。
「?」
 首を傾げる朱雀に、からす丸は顔を寄せると、言った。
「あたい………いや、おいら」
 おいら?
 朱雀は切れ長な目を瞬いた。
「おいらだったら、朱雀サマだけを大事にするよ? 白虎サマなんかより、ずっと、ずーっと」
「………………」
 何?
 なんだって?
「朱雀サマ!!」
 からす丸は腕を延ばすと、ぎゅうっと、朱雀を道行きごと抱き締めた。
 と言うか、抱きついた、というか。
「おいら、相手が白虎サマじゃ勝ち目ないって諦めてたんだ……それに、朱雀サマちっともこっちに来てくれないし。おいら辛くて辛くて………どうしたらいいかずっと悩んでた………だけど、決めた。おいら、おいら朱雀サマが−−−」

「こらあああ!! この陰間!!!」

 ばーん!
 と、からす丸が朱雀にしがみついて告白をぶとうとした瞬間、背後の襖が派手な音を立てて開いた。
「!?」
 振り向くと、白虎が物凄い形相で睨んでいた。
「お前、この間諦めるって、泣きながら俺に言ったくせに!!」
 からす丸は、それを聞いて少し、朱雀から身体を離すと、そのあと、目を吊り上げて、長い舌をべろりと出してみせた。
「だーれが! 白虎サマみたいな軽い相手じゃ、清らかな朱雀サマが可哀想なんだよ! おいらが幸せにしてやるんだ!」
「陰間のくせになに言ってるんだ、お前! 朱雀は俺のものなんだよ! お社様も認めた恋仲なんだからな!!」
 両者の間で、固まる朱雀。
 こら離れろと、白虎に掴み上げられて、ぎゃあぎゃあと喚くからす丸。
「うわ、こいつ引っ掻いたな!?」
「虎が怖くて猫がやってられるか!」
 意味不明である。
 白虎にぶら下げられてじたばたしながら、からす丸は宣言した。
「決めた!! おいら、きっと御前町一の売れっ子になって、店を構えるんだ! そんで朱雀サマに相応しい男になってやる!!」
 どのへんがどう相応しいのかよくわからないが、とりあえず。
「………元気になったみたいで、良かったわあ」
 と、襖の陰でお楽が言った。
「女将さん! 仕事するよおいら! もうばんばん連れて来て! よお〜〜っし! やるぞおお!!」
「………………」
 朱雀は組み合う虎と猫を置き去りにして、無表情のまま店を後にした。背後から阿鼻叫喚が聞こえたが。

(私の知ったことか!!/怒)

 である。




 石段を登ると、境内で金魚が、ヨウとハヤに饅頭を食べさせていた。
 朱雀は目を据わらせると、そこへつかつかと歩み寄る。
 金魚は毒気を抜くような素晴らしい笑顔を見せて、言った。
「からす丸、元気になったろう。やっぱり御前町の子供には、朱雀さんが一番の薬だねえ」
「……………っ」
 怒りで頬を紅潮させながら、金魚を睨み付けたあと。
「御前、失礼いたしますっ!!」
 と、言い放って。
 朱雀は奮然と背中を向けると、だかだかと社殿に入っていった。
「……………」
 それを見送りながら、金魚は微笑って、饅頭を頬張る二匹に言う。

「朱雀さんは、本当にかあいいねえ」
 ………と。