番外4:書生
【閑話休題】※このテキストは、三ツ木直江の製作です。




「私の母は、私の今通ってる方と似てましてね」
「ふうん、じゃあさぞや美人だったんだろうね?」
 室生が古書店で知り合った中国人の留学生から分けてもらったという。
 薫り高い渡来の熱いお茶を、手のひらに乗るような小杯ですすりながら入江は笑った。
「ああ、顔は分らないんです。如何せん写真さえ残っていないんですから」
「君は物心ついた時にはもうご両親は亡くなられてたとか……」
「そうなんですけど……雰囲気というか。非常におっとりとされた俗世離れした方だったそうなんですよ。父も天涯孤独だったせいで親戚とかがいなくて、母がどこの出身なのか、氏素姓もさっぱり何も残ってなくて」
 お茶請けには甘いのが苦手な入江用の三俣せんべいと、松坂屋のさゝ梅だ。
「君は似ていないのかい?」
「私は笑えるぐらい父によく似ているそうですよ?」
 苦笑しながら室生は「お代わりいかがですか?」と空いた杯にお茶を注ぐ。
「船の事故で二人とも亡くなったんですが、父の遺骸は見つかっても母のはどこにも見当たらなかったそうです。遺品はあったそうなんですけどね」
「………………」
 杯から、なんとも涼やかで香ばしい薫りが漂うのを楽しむような顔で、入江は黙って聞いている。
「義父は、母の事をよく思っていたらしくて……」
 何たって父と義父は親友だったそうですから。と室生はまた小さく笑った。
「私の母は、どこか違う所から来た人なのでそこに還って行ったのだろうと、小さな私の手を引きながら、葬儀が済んで義父の家へと辿る道で何度かそう言われたのを覚えています」
「まるで“信太の狐”だ」
「義父も、せめて母だけでも生きていたら……という気持ちだったんでしょうがね」
 生涯独身を通した義父を思い起こしたのか、僅かに目を伏せると。
 だが室生はいつもの顔ですぐに笑い返した。
「そんな馬鹿な。と……笑い飛ばすにも、何となく笑い飛ばせなくて。結局今もそのままです」
「君は、時々不思議な事を言うからな。案外本当かもしれないよ」
 入江はそう言って、それからゆっくりとお茶を飲み干した。
「そう思う分には誰に迷惑をかけるでなし。いいんじゃないのかい?」
 唐辛子をまぶしたあられを手に取ると、一個口に含んで軽い音を立てながら噛み砕く。
 その親友の姿を眺めながら、室生も手元のさゝ梅を開きながらふと窓の外を眺めた。
 野分の過ぎたばかりの今日は、夏を思わせる暑いほどの陽射しと底を抜いたような鮮やかな青空を広げている。風はだがあくまでも爽やかで、秋の匂いを名残の淡い湿気の中に隠し持っている。
「…………そうですね」
 こんな綺麗な蒼穹には、鮮やかな緋色で染め上げたあの人が映えそうだ。
 神代の竜田川の紅葉もかくやと思わせるその身を飾る錦の美しさは、あの不思議で妙にほの明るい異界に身をおくあの人にとても似合っている。
 室生はふとその面影を脳裏に映して、微かに微笑った。



「ところで、君は向こうの傾城に出入しているらしいけど、お金とかどうしてるんだい?」
「ああ……あれはですね。換金してもらってるんです。あちらのお金と」
 ぎょっとした顔で見上げてきた入江に、室生は事も無げにそう言った。
「な、何と換金してるんだい?」
「最初は、ちょうど持ち合わせていたササゲだったんですが……」
「ササゲ? 何でまたそんなものを持ってたんだい?」
 豆の一種で強飯の材料に使ったりするものだ。料理する者以外にはどっちにしろ持っているものでない事は確かだった。
「いや、あの……茹でると美味しいですよ?」
「本当に君は何でも食べるな……それで、それと換金したんだ?」
「ええ、門のそばに小さくてつぶらな瞳のはしっこい人がいましてね。その人に袖を引かれたんです。中で遊ぶならそれと金に替えてやろうって……」
 聞くだに怪しげな話だ。入江は眉根を寄せたまま話を促した。
「お金に換えたんだ。幾らぐらい?」
「それが……渡されたお金というか砂金でして。一体幾らぐらいなのか目利きでもない私は分らなかったんですよ。ほら純度の問題もあるでしょう?」
「砂金!?」
「どうもこちらには持ってかえれないようなので、残ったものはあちらに預けてあるんですが……他にも小豆とか、大豆とか、米とかが換金の対象になるみたいです」
「よく、分からない世界だな……」
 軽い頭痛を覚えて入江は頭を抱えた。そんな彼に室生も苦笑する。
「一度、炒った大豆を持っていったらダメでした。どうも“命がないもの”は取り引きの対象にはならないようですね」
「は―――……」
「畑にでも蒔いてるのかもしれませんけれども」
 顔を上げて、入江は呟くように上目で見る。
 畑仕事などやった事もないので、そう言われてもてんで想像がつかない。
「そんなもんなのかい?」
「でも他に想像がつかなくって……料理に使うなら別に炒ってても構わないでしょう? それに音哉くんは、この辺りに関しては何も知らないみたいですしね?」
 お金持ちの彼女が何でも用意して下さってるみたいですから。と、室生は笑う。
 こちらの世界ではおやおや貢がれてるのかい? とからかいの種になりそうな話ではあるが、如何せんこちらの約定が当てはまらなさそうなので入江も眉根を寄せたままだ。
 それが羨ましい事なのか、
 それともそれ、本当にそのままでいいのかい? 
 と、問いただしていいのかさえも分からない。
「……まあ、楽しそうで良かったね」
 なんともいえない感想と共にすっかり冷めてしまったお茶を口に含んで舌先で転がすと、微かに花のような甘い香味が広がる。
「そのうち入江さんも来れるといいですね。なかなか美しい町ではありますよ?」
 目の前で屈託のない顔で笑われると、こちらもそんな訳の分らないところはごめんだとは正面切って言いにくい。
「あ、う……うん」
 一応これでも心配しているんだけどね。
 と、ため息をそっと摘んで口に入れたあられと共に噛み砕いて飲み込む入江だった。