製作:ジョン・マルコビッチ 監督:テリー・ツワイゴフ 原作:ダニエル・クロウズ
出演:ソーラ・バーチ スカーレット・ヨハンソン ブラッド・レンフロ
スティ−ヴ・ブシェミ
 
 

   
   



やばいね、コレはかっなりやばい。 むちむちバーチ演じるイーニドってば、コレはまさしくあたし。 そしてあたしたち。

もちろんあたしたちは、あそこまでキちゃいないし、ブシェみたくダメ男とあんなことにもならないし、悲しいかなあんなに若くはないけれども。
それでもやっぱりあたしたちは自分をイーニドに 重ねずにはいられない。
「ギターとスポーツにしか興味ないバカ男なんて !!」 このセリフ、どっかで吐いたことあるぞ。
あたしだけぢゃない、そう、あのこもこのこもそこのアナタも!!

なんとなく居心地の悪い世の中。 自分がこの先、どーなっていくのかなんか全然見えてこない。
なのに周りはどんどん先へ進もうとしている。
あたしだけ置き去り??ちょっと待ってよ!! 友達だったはずのあのこまでも??

自分がそうたいしたことないこともホントは知っている。 それでも何かできるって信じたい。
平凡過ぎる日常に埋もれてしまいたくなんかない。
そんなふつーのオトナになってどーするの?? あたしはアナタたちとは違うの!!


信じてはいるけれども、信じてるだけぢゃどーしようもない。 あたし、どーすればイイ??
もう自分がどーした いのかすらもよくわからない。 ともすれば、瑣末な日常ってやつに押し流されて しまいがち。
だれか助けて!!HELP!!HELP!!HE LP!!!

多分、そうやって足掻いているうちは大丈夫。 アナタにも、そしてあたしにも、そのうちきっとバスは来る、はず。
<衣良>

 
   

   
   



ゴーストワールドについて何か、コメントを依頼されたんだけど感想はありがちなことしかかけそうにないのでインテリアについて幾つか。

まず私が今自宅のリフォームをするにあたって役に立ったのがイーニドの部屋

彼女の部屋にあった棚なんだけどこれコモエスタ八重樫さんちにあったやつの色違い ! (彼んちのはやまぶき色) 今をときめくミッドセンチュリーものの家具ってやつですね。
そんな部屋にこちゃこちゃとまるで計算したかのように置いてあるお人形などや小物もイーニドのファッション同様パンクでキッチュ。なかなか主張した部屋でした。

んで感心したのがそんな部屋だったら壁紙も強烈な色を持ってくると思いきやなんと 壁紙は水色
だって水色って・・・ピンク同様優しい赤ちゃん系の色、って思わない?
しかし、この部屋はそんなイメージを一蹴してくれた。 水色って合わせる色によってはなんかすごーく個性的になるんだーって感心した。
だって、すごいよ。水色にやまぶき色の組み合わせ。こんなの普通やらないって。 組み合わせる前に「まずあわないだろう」って思っちゃうもんね。
この挑戦、うちでも是非参考にしようと思いました。もちろん子供部屋に(笑)

そうそう話がそれるけど彼女が部屋で聴いてた曲がピストルズじゃなくてアンダー トーンズ。
かと思うと童謡なんかも聴いたりしてこんなところにもお部屋同様イーニドの心情が 表れてるのねぇ。

んでところかわってブルース好きの(ブシェミ)の部屋も凝りに凝っていた。 多分こっちの方が印象に残ってる人が多いのでは? こちらは50年代家具が印象的な落ち着いた暖色系インテリア。 そりゃあもう映像からプンプン匂ってました。コレクターの部屋のあの匂い(笑)
こちらは壁紙はオレンジ。鮮やかのオレンジじゃなくてブシェミの役柄みたくくたび れた色合いのね。 かなり完成度の高いインテリアで是非お手本にしたいという方も多数いたのでは?
参考までにそんな方はこちら(http://www.acme.co.jp/2P-TOP/2P-ACME.html) に行ってみるといいでしょう。
ブシェミんとこと同じようなテイストの部屋
が作れま すよん。

最後にこれだけではなんなのでやっぱり感想を。
この映画を観て「イーニドって昔の私みたい」的発言が多く出回ってると思いません ?
もちろん私も鑑賞後強くそう思った1人。
でも、一体どこがどう「自分みたい」だったのかな、と考えてみた。 内面的なことはいわゆる「あたしのやることはかっこいい!」ってな勘違い女で 自分の居場所が見つからない。どこにも属せない。自信があるんだかないんだか自分でもよくわかんない言動だらけ。
まあこんな程度の考えって案外思春期の女の子は一度は持ったことあるだろうからそういった意味で自分を重ね合わせちゃえるんだろうなとは思う。

じゃあ外見的にはどうよ、どうよ? 該当すると思われる女子よ、さあさあ学生時代の写真を持ってきて頂戴! みんな外見的にはどっちかっていうとレベッカのほうなんじゃないの〜?

え、そういう私はどうなのかって!?

ふっふっふ。私の場合は怖いくらい外見が似ていたのだ。 男を意識してないぞといわんばかりのメガネにぷくぷく体型。 それにこれがあたしよ、あたしの個性!と言わんばかりのすっとんきょうなファッション等。
高校生んときの写真をHP上にアップしたい
くらいにそれはそれは似ていたのである。 あ、顔は別ね。
イーニドの顔には将来どうにかなりそうな予感がしたけど 私のは夢も希望もない状態でしたから(号泣)

でもこの発言、別に私は「あんたたちとは違うのよ」といった自慢ではない。 それどころかすごーく勇気がいる告白である。
だってそれって私はブスって言っているようなものじゃないの。 だから笑えない。これはかなりまずい。

そこで考えてみた。 今回、「私みたい」って思った人は ウェルカム・ドールハウスのブスッ娘ことヘザー・マタラゾには自分を重ねられたのであろうか?
人間やっぱそこまで自分を下の下とは見なしたくないもの、 だからマタラゾ嬢に対しては「私はあそこまでひどくない」って思ったはず。
だって私もそう思ったもの。ごめん、マタラゾ(笑)

話にマタラゾが登場したので紛らわしい話の展開になってしまったけど イーニドってみた目も存在も「下の下」じゃなくて「はみだしっこ」だったから共鳴 しやすいんだと納得。
日本人ってのは昔の自分の話になると「不良」「ネクラ」「貧血気味」「変わり者」 「クラスで浮いてた」等 普通の子とは少し違ってたって事に美学を感じがちだからねぇ。

しかし「ゴーストワールド」はものすごいイタい。 でもこういうイタさって青春時代に1回は経験しておきたいもの。
だから共感できる人はすごくラッキーと思わなきゃね。 周りがどう思おうと「You are my hero」って人もいたし。でへへへ。

男の人ならやっぱブシェミのイタさに泣きそうになったんだろうな〜。
誰かいないのかねぇ、ヌンチャク男をみて「あ、あれ昔のオレみたい」って思った人 は(笑)
それとかブラッド・レンフロ観て「昔はモテモテだった俺みたいじゃん」って遠い目になってるのは誰?

<tura>

 
   

   
   



いきなりエロい出だしで申し訳ないが、ソーラ・バーチはいい。
いいったらいい
不敵な笑みといい、おせじにも一般的なナイスバディー とは言い難いフェミニンな体型といい、素晴らしい。
今年度のミス・眼鏡っ子は 間違いなく彼女だ。

この映画のソーラ・バーチに近いテイストを持った女性といえば、 やはりトッド・ソロンズの『ウェルカムドールハウス』で親からも、いじめっ子から も、いじめられっこ子らも、ついでに監督からもいじめられていたヘザー・マテラッツィオか。
彼女が『美人だ』と言い切れる男性なら、間違いなくソーラ・バーチにぐっとくるはず。
(余談だが、先日上記自説をフリヲ(ナヲイ)さんにぶちまけたところ、もめた)
なんだかちっとも映画の内容に触れていないような気がするので、一応感想を述べて おきます。
一言でいうなら、ラップなんか馬鹿らしくて聞けなくて、タランティーノ のどこがいいのか本気でわからずに年中首をかしげているような人が主演の映画。決してネガティブな意味ではなく。

上映前の『スタジオ・ヴォイス』での特集を快く思っていなかったみなさんも安心のデキ、です。
(今年のベスト1は、今んとこ『鏡よ。父よ。鏡よ』)

スキップジェイムスやロニージョンソンを学生時代に聴いていたような人が 観れば、嬉しいやら悲しいやら、情けない気持ちに目一杯させてくれる、そんな映画。

『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』とのたまったのは、 今は本屋の主である早川義夫だが、この映画はもっと深い。
っていうか、 もっとどしようもない。
誰もが認めたくないけど、心の底では気付いている 事実を涙容赦なくつきつける。
そうなんだ。かっこいいものも、かっこ悪いものも、みんなださくて どうしようもないんだ。
映画を観ることなんざあ、×××。。。(以下、自粛)
最後に、すべてのぼんくらどもが涙した(と、思われる)ソーラ・バーチの台詞を。
『あなたがもてない、この世の中が許せない』 。。。
合掌。
<みかん>

 
   

   
   



昔マセガキだった女の人は実に共感したであろうソーラ・バーチ演じる主人公イーニドは、世の中をくだらない、ダサいと蹴り付ける女の子。
自分がかっこいいと信じるものに身を染めては浮いてしまったりと、 うまく世の中と適応できない、そしてどうしていいかわからないので、 ただただ否定しまくる日々。
と、まあここまでは岡崎京子の漫画なんかにありそうな 10代の女の子の設定なのだが、テリー・ツワイゴフ監督はさらにそこに相手役に原作(ダニエル・クロウズによる人気漫画)には出てこなかったやはり世の中に適応できていないSP盤コレクターのおっさん(我らがスティーブ・ブシェミ!) を加えて、さらに深くて痛〜い映画にしてしまった。
いい歳してレコードだの漫画だの集めてる大人(って言ってる自分が一番辛かったりして) は身につまされる話なのだ。
それにしても、 物語が進むにつれ魔法がかかったかのようにどんどん魅力を増すソーラ・バーチと ダメ中年の哀愁を漂わすブシェミを筆頭に、一癖も二癖もある他の登場人物達の配役がばっちりとハマっている。
(中でもコンビニにあらわれるヌンチャク男は必見! あちょう!)
さらには冒頭の謎のインドのガレージソングや全編を包む渋々でよれよれのブルースなど音楽のチョイスが既にタダものではない。
イーニドのファッションも 三輪明宏版『黒蜥蜴』のごときペースで次々と変わる。
このへんの通好みな演出が、 物語に独特の雰囲気を持たせ、観る側に居心地の良さを持たせていることに間違いは無い。
もう一度言うが、これは、そこいらのジャリにはわからない大人のための映画である。
もっと詳しく言えば世間一般的に言う”ダメな大人”のための、 つまり、古い映画やレコードや本に夢中になって、世の中からちょっとズレてる僕らのための映画である。
そう、中身が薄くて無闇に元気でオシャレなガーリームービーだろうと鼻で笑ってた人ほど好きになってしまう傑作なのだ。  
最後にエンドロールの後にオマケで用意されているブシェミの勇姿、 見逃さないように!
ある意味一番泣けるシーンだぞ。
<ナヲイ>

 
   

   
   



「アメリカン・ドリーム」の代名詞で知られるアメリカだが、 実は地方生まれの相当数の人間が、生まれた地の高校を出ると、そのまま 地元に進学して就職、もしくはすぐに就職し、地元で結婚し、子供を育て、 その生涯を生まれ故郷から出ることなく終えるのだという。

この映画の舞台となるのもアメリカの典型的な田舎町だ。
映画はその田舎の高校を卒業した二人の少女が周囲に対する嘲笑と関心、 恋愛や挫折、そしてお互いの決別を見るに至るまでの青春模様を、 毒とアイロニーとユーモアのテンコ盛りで実に生き生きと描いている。

しかし主人公達の魅力的な人物造形で満たされた物語のラストは、我々の身にもつまされるような複雑で割りきれない印象を残す。
主人公は決別し、一人は町にとどまり、もう一人はバスに乗って(おそらく) 町を出てゆくのである。
町にとどまった彼女はおそらくそのまま地元で生涯を終えるであろうし、出ていった彼女は どうなったかは明らかにされていない。

町を出ていった少女は、おすぎの「ブスは町を出なさい!町を」発言を筆頭に、 メディアでさんざんブサイク呼ばわりされているソーラ・バーチが演じているが、しかし彼女がブスかどうかはともかく、町を出て、果たしてその先には何が待っているのだろうか。
田舎町でとんがっていただけの青春を過ごした少女が都会へ出た ところで、ただますますその孤独を深めてゆくだけではないのか。
だからといって町に留まっても、退屈な日常の半永久的な反復に身を委ねて生きてゆくしかない。

人生の可能性が無限に開かれているというのはおそらく虚構である。

「町を出なさい!」というような断言を、やはり楽天的で無責任な放言として否定 しつつ、この映画のラストには安易な「問題提起」 などではなく、稀有の諦念と残酷さが秘められているのでは ないか、とひとり勝手に想像したりしているのだ。
<TB>