1978 Guernica
1981 Sjecas li se Dolly Bell?
1984 Otac na sluzbenom putu 「パパは出張中!」
1988 Dom za vesanje 「ジプシーのとき」
1992 Arizona Dream 「アリゾナ・ドリーム」
1995 Underground 「アンダーグラウンド」
1998 Crna macka,beli macor 「黒猫・白猫」
2000 The White Hotel

 

 


監督:エミール・クストリッツァ
脚本:デュシャン・コヴァチェヴィッチ&E.クストリッツァ
キャスト:ミキ・マノイロヴィッチ(マルコ)、ラザル・リストフスキー(クロ)、ミリャナ・ヤコヴィッチ(ナタリア)、スラヴコ・スティマッチ(イヴァン)etc.
1995年(フランス・ドイツ・ハンガリー)


この映画のもたらす素晴らしき感動をどう表現したらいいのでしょうか?
知的で、あるいは情緒的感動を観る側に与えさせる映画は少なくないと思いますが、知と情そして魂を揺さぶり五感ののすべてに、それも途方もない迫力で訴えかけてくる映画っていうのはそうそう出会えませんよね?この映画こそ、その数少ない類稀な作品で、クストリッツァ監督自身が自分の最高傑作と言い切り、私が心から愛して止まない映画なのです!きゃあ ヽ(^。^)ノ きゃあ らぶらぶ〜♪
1941年第2次大戦真っ只中のセルビア。ナチ(ドイツ)占領下戦下の首都べオグラ―ドを逃れ地下に潜るレジスタンス達。

それは、武器商人マルコ(ミキ・マノイロヴィッチ)にだまされ「レジスタンス」の名のもとに武器を作りつずける元動物園の飼育係の弟イヴォン(スラヴィコ・スティマチ)、とマルコの無二の親友(?)の愚直で血の気の多いブラッキー・通称クロ(ラザル・リストフ)、また大勢の善良な老若男女に子供達。日々、戦争が終わってもこの誇り高き労働は終わりはありませんでした。

ナチが去りチトーの社会主義に代わってもマルコは私腹を肥やす為に騙し裏切りつづけ地下に潜っている仲間たちを働かせ続けるのです。

しかも、地下で働く善良な人々は戦車まで造れるまでになりその儲けでクロの愛人だった女優のナタリアとちゃかり結婚していてその地下の上の屋敷で豪奢な暮らしを続けこの戦争には終りがないと仲間を欺きながら…。

ところが、地下でクロの息子のヨヴァンの結婚式の晩に時代の流れを認識していないヨヴァンとクロは男を上げる為(?)地上に上がり、ヨヴァンは初めて月を見て太陽と間違えてしまったり、マルコの弟イヴォンも地下で飼ってるチンパージーのソニが戦車からいたずらで発砲してしまって出来た穴からソニを追いって地上に出てしまったり、地下から地上に上がる人々。

そこで知らされる真実!

祖国ユーゴスラヴィアが失われたことを知らされて傷つきながら彼が見たモノは…

また、主人公達を走りながら演奏で飾るオープニングのシーン。このバルカンブラスバウンドの音楽が本当に素晴らしく、物語の哀愁漂うブラックユーモアとアンチモラルでシュールな映像美をより引き立てています。んもぉ〜スッゴイパワー!

出演者達も常に身振り手振り付きえらいこっちゃとばかりに、呑気に、愉快に踊りまくり、負けていません♪ クストリッツァ自慢の映像ももちろん美しく、一時も気がぬけませんヽ(^。^)ノにゃん♪

中でも美しいのは結婚式で宙に浮きながら新郎にキッスをする花嫁、クストリッツア監督が大好きで敬愛する画家シャガールへのオマージュでもあります。ウェディングケーキ型の舞台で廻りながら演奏するブラスバンド――しかしそこは地下室――物語上、哀しい設定だけど、テーマによる重さはさほど感じない仕上がりになっています。。

ちなみに物語のなかで国際武器商人となって手配されてるマルコとナタリアが武器の取り引きの商談をしているシーンでは兵士役でクストリッツァ監督自身がこっそり主演してたりします。

また、物議をかもしたアンチモラルなキリストの逆さつり、井戸からドナウ河を通り楽園に繋がっていて泳ぐ花嫁やブラスバンド等などなど、所々にクストリッツア監督の煌くセンスがだぁ〜い好き♪

一番好きなシーンは、フェリーニへのオマージュを漂わせるラストシーン。地下室での結婚式姿のみんながドナウ河を泳いで辿りつく、傷ついた楽園のシーン。人間だけでなく動物達の群れも…川を渡ります。そして太陽の下でのガーデンウェディング。動物達は牧場で草をむさぼり、ブラスバンドはハシャイで演奏。パーティーのご馳走の前でみんなが楽しそうに踊っているシーンです。パーティーを除くマルコをクロが手招き「許せ」とクロに伝えるとクロは「許す。だが忘れんぞ」と答える…この台詞自体が監傷の祖国を失った深い哀しみ、現実を受け入れながら生きていくも誇りを失わない心・・・         ヽ(^O^)ノ ブラボ〜♪ 「アンダーグラウンド」。

鬼才エミール・クストリッツァ監督の失った祖国への平和への祈り・希望・・生きる喜び・悪夢を抜群のブラックユーモアセンスとシュールな映像美で作り上げた大傑作、陳腐なのに高潔でデタラメナお伽噺話。1995年度カンヌ映画祭グランプリ受賞。! 今までで・・・またこれからもず〜っと永遠のマイベスト1です♪ ヽ(^o^)丿 きゃははははは!!

<エンジェル★カミーユ>

 


監督 エミール・クストリッツァ
脚本 ゴルダン・ミヒッチ
撮影 ティエリー・アルボガスト
音楽 ドクトル・ネレ・カライリチ / ヴォイスラフ・アラリカ / デーシャン・スパラヴァロ
キャスト バイラム・セヴェルジャン / スルジャン・トドロヴィッチ / ブランカ・カティチ / フロリアン・アイディーニ / リュビッツァ・アジョビッチ / サブリー・スレイマーニ / ヤシャール・デスターニ / ミキ・マノイロビッチ
1998(独・仏・ユーゴスラビア)


ねえ、ねえレディース&アホアホマン最近脳天から稲妻チョップ浴びた時ある?(^o^)人生に疲れてない?そんなあなたに是非、心からお奨めしたいのがこの映画!引退表明を覆した鬼才エミール・クストリッツァ監督の「黒猫 白猫」よん♪相変わらずの美しいシーンには、彼の天才ぶりをも再認識。音楽もおなじみのジプシーのブラスバンド♪ヽ(^。^)ノ相変わらず走ってます♪挙句には、木に括られたりして、、。このバンドには昔クストリッツァ監督自身がギターで参加していて今はドラムを息子がやってるそうです。それから、それから「アンダーグラウンド」「パパは、主張中」同様にお約束の結婚式シーンもあります♪ しかも!この「黒猫 白猫」はラブコメディです。観方によっては、ヒューマンコメディでもあります。初めからハイテンションな出演者の数々にも〜大爆笑♪(^o^) ぎゃははは〜!!出演者全員動かないで台詞を喋る人はいませんし音楽が単調なシーンでもコミカルに見せています。しかも!「パパは出張中」「アンダーグラウンド」に主演(悪人マルコ役だった)ミキ・マイノロヴィチも戸籍官(新婦みたいな役)で出演してます♪でも、撮影直後に亡くなったとのこと、(-_-) もうあの切れたダンスも見れないようです。その他にも黒猫 白猫・アヒル・豚・馬・やぎ・白鳥・ねずみ・犬など動物達の動きもお伽話しのような背景を演出し効果的な感動や不思議で愉快な背景を漂わせています。黒猫 白猫それは!不幸と幸福の象徴♪(^o^) うふふ・・♪

 まず舞台は、ユーゴスラヴィァあたりの何処かの夏。海のように広いドナウ河のほとり♪前作「アンダーグラウンド」のロケ地からわずか数キロの場所らしい・・角度を変えるとこんなにまだ長閑な自然が、残っているのでとっても安心しちゃった♪アホでヘッポコギャンブラーの父マトゥコとその息子のザーレはドナウ河沿いで他のジプシー達同様にアヒルや馬や豚やねずみ達と暮らしていたもちろん黒猫も白猫もいる。ある日お金に困ったマトゥコは、療養中の父ザーリェと「カサブランカ」並の友情で結ばれているジプシー界のゴッド・ファーザーのグルガにザーレェが死んだと同情を引きお金をかりて石油列車強奪を試みるのだが成金新興ヤクザのダダンにいっぱいくわされ息子のザーレをダダンの末妹のテントウムシ♪と廻りから噂されているおちびちゃんとの結婚を強要されるのだが。ザーレの心の中には酒場の娘の美しいイーダがいる。テントウムシ♪のおちびちゃんも夢みる恋人を待っている・・・しかし!!!結婚式は始まった新郎のザーレの祖父ザーリェが亡くなっても・・・新郎、新婦が望まなくても・・そこから始まるテントウムシ♪の逃亡・・・逃げきれるのか!!テントウムシ♪(^O^)/ がんばれ!テントウムシ♪逃亡中ももちろん楽しく愉快。切り蕪の中に隠れながら逃げたり・・・そこにテントウムシ♪にも恋の予感が・・・・!

の映画はクストリッツァ監督の映画に対する愛情と情熱が込められていてとても繊細で丁寧に作られています。クストリッツァ監督の映画はクストリッツァ監督自身が子供のころから心の中でずーっと大切にしている純心さと感動に満ち溢れています。この映画は幸せとは今を感じることと感じさせてくれます。今までのクスとリッツァ監督の映画と異なり100%のパワフルコメディです。フェリーニがサーカスならばクストリッツァはジプシーです。私が好きなシーンはザーレがブラスバンドを連れて祖父のザ―リェの病院に行きブラスバンドと一緒に退院して小舟で帰るところ・・夕映えのドナウ河、舟先で両手を広げて人生は素晴らしい!!っとザーリェ言う所です。そこには鷺の群れが美しい映像美をより引たてていて映画全体に漂う幸せとは今を感じること・・を感じられるから・・・♪ きゃあ ヽ(^。^)ノきゃあひまわり畑でジャレながら初めてキスして愛し合うシーンも・・パワフルな結婚式のシーンも・・すべてのシーンが、楽しく美しい映画です黒猫 白猫それは!不幸と幸福の象徴♪ラストの方でとちらが雄雌かはっきりわかります♪是非、(^O^)/是非見てねん♪

<エンジェル★カミーユ>

 


監督:エミール・クストリッツァ
キャスト:モレノ・デバルトリ、ミキ・マノイロビッチ、ミリャナ・カラノビッチ
1985年(ユーゴスラビア)

舞台は1950年代のユーゴスラビア、サラエヴォ。敏感だけど何処かぬけてる、太っちょのマリク6歳は両親と兄、祖父の5人で暮らしていた。政情不安も子供には関係なく、平和で楽しい毎日が続いていたが、ある日父親が愛人に言った戯言が人民委員会に伝わり、政治批判と受け止められてしまい、強制労働のため家を離れることになってしまう。何も知らないマリクは母親に出張だと聞かされるが、不安でいっぱいであった。そのせいかマリクは夜中に夢遊病で何処ともなくフラフラと出かけるようになる・・・。

1981年に「ドリー・ベルを憶えてるかい?」でヴェネツィア映画祭金獅子賞を撮ったエミール・クリストリッツァの本格的な劇場用映画第2作。少年の目を通して描かれる家族映画なのだが、そこはクリストリッツァ、一筋縄ではありません。父親の「出張騒ぎ」を通じて、舞台の1950年頃のユーゴ情勢に対する皮肉もたっぷり堪能できる、深〜い作品なのであります。それにしても、この主人公のマリク少年がいい。コロコロと太った愛らしい表情でほのぼのとした空気を醸し出している。父の働き先で暮らすことになったマリクは1人の美しい少女に恋をするのだが、これがまた好感が持てます。夢遊病で彼女のベッドへと赴く姿が微笑ましい。恥ずかしそうにお風呂に一緒に入る2人といい、ラスト近くの思いがけない2人の関係の顛末はホント、せつないですな。ぐしぐし。 んで、父もやっと許されて帰ってくるラスト(相変わらず女にはだらしない)はその後のクリストリッツァの大きなポイントとなるパーティーシーンですが、鈍チャン騒ぎもなく、"身勝手な大人たち"をマリク少年の目を通して静かに、リアルに描いています。

とにかくこの映画は社会背景も含めて、かなり暗い設定なんだけど、常にのほほーんと優しい空気が流れているのが印象的。それも一重にマリク少年のぽわーんとした存在が大きく、ナレーションも含めて、マリク少年というフィルターを通したからこそ、この暗いお話が時にはどこか可笑しく、時にはしみじみと語られるのでしょう。 それにしても、チクった愛人を怒りながらもまた抱いたしまう女にだらしないお父さん、泣きじゃくる愛人、もうあきれて何も言わないお母さん。全く大人ってのはホント身勝手なもんだ。やれやれ。そんなエゴ剥き出しのしょうがない大人たちや当時のユーゴの政情不安を中和させてしまうのがフラフラと空中を歩く(クストリッツァお得意の”浮遊シーン”)夢遊病のマリクの振り返り様の笑顔がストップモーションになるラスト。は何もかも忘れさせてくれるような安堵感に満ちている。

1985年カンヌ映画祭パルムドール受賞。一筋縄ではない家族映画の名作。その後次々と傑作を発表するクストリッツァ映画の原型もちらちらと見受けられます。個人的にはラジオから聞こえてくる1950年代のサッカー・ユーゴ代表の活躍が気になったりもします(笑)

<ナヲイ>


監督・脚本:E・クストリッツァ
音楽:G・ブレゴヴィッチ/撮影:ビルコ・フィラチ
キャスト:J・デップ、F・ダナウェイ、V・ギャロ、他
1993年(仏)

ユーゴスラビアの巨匠クストリッツァがコロンビア大学に招待されていたアメリカ滞在時の作品。

アリゾナに住む叔父の紹介で車の営業を始めた青年アクセル(J・デップ)とその同僚のポール(V・ギャロ)のもとにちょっと言動が逸脱気味の母娘(ダナウェイ、リリ・テイラー)が訪れます。亀になりたいという娘(テイラー)の自殺願望を聞かされ、何故かふらふらとその二人になびいてしまうデップ、自らも魚になりたい、などという空想癖が災いしてか、仕事を放り出し、アリゾナの平原にある母娘宅に居座ってしまいます。ギャロが仕事に戻れ、という説得に赴きますが、デップは耳を貸さず、飛行機作りに没頭するまったりな毎日にご満悦。しかしその彼(ギャロ)も本来の目標であった俳優オーディションでヒッチの「北北西に進路を取れ」のモノマネ披露が見事にコケてからは、めでたくダメ人間共同体の仲間入り。四人で家を飾り付けての誕生パーティーを決め込んだりと楽しい日々を過ごすものの、その行く末には悲劇的な結末が待っていたのでありました、というお話。

デップは相変わらずの芸達者ですが、他作品より自然体でなかなか魅力的。亀をベッドに並べて自分の世界に浸るリリ・テイラーの怪演も面白い。ギャロは「バッファロー66」よろしくここでも神経質でマイペースなB型キャラに徹するべく、「スーツに触るな」「顔に触るな」とスキンシップを拒絶しまくるナーバス野郎を好演しております。ただこの映画、改造乗り物、豚、アコーディオン、などお馴染みのアイテムがアリゾナの大地に登場したりはするのですが、クストリッツァ作品にしては全体的にやや物足りないでしょうか。ストーリーもシニカルで多少陰鬱な印象もありますね。ただこれはジプシーあがりの、すなわち「外部」の人間であるクストリッツァが、合理主義大国アメリカをアイロニカルな眼差しで描こうという意図があったのが原因かもしれません。ギャロが飛行機に追いかけられて必死で逃げまくる「北北西に進路を取れ」のパクリを堂々とやってしまうというような、悪意のあるパロディがあちこちに散りばめているところなどは面白いのですが。

クストリッツァはこの作品を撮った後再びユーゴスラビアに戻るわけですが、たとえ荒廃していても祖国で撮ることを選んだ彼のその決断が結果的に正しかったということは、次作「アンダーグラウンド」の出来映えが見事に証明しております。クストリッツァにアメリカは似合わないという印象が強いこの作品ですがデップとギャロの共演は見ごたえがありますし、二人のファンなら必見でしょう。

<TB>

―――いやーこの映画のフェイダナウェイ、エンディングテロップまできづかなかったんすよねー(爆)<ナヲイ>