空の向こうから、星が落ちてくる。それは人々に死を招くだけのものだった。
そして、その空からの厄災から自分たちの身を守るため、自分たちの持てるだけの技術を駆使した。隕石を迎え撃つために膨大な技術と、莫大な費用をかけられたその武器を、開発者たちは決して自ら「兵器」とは呼ばなかった。
「…あれは平和のために。人々の眠りを守るために…」 虚ろな声が研究室に響く。答える人間はいなかった。皆、うつむいたきり、言葉を失ったままだ。突きつけられた現実に、誰もが言葉を失っていた。
その中で、ぽつりぽつりと虚ろな声が響く。 「そのためのものだ、あれは。あれを人殺しの武器に使うな!」 叫んだ声に、一人の男が答えた。開発者たちとは違う、体格のいい男だ。明らかに軍人だった。
腕の部分に見えるエンブレムは、決して見慣れたものではない。 「ではあなた方は考えたことがないと?あれが、人殺しの兵器になると。脅威になると」
男の静かな言葉に、開発者たちはまた言葉を失った。考えたことがなかったわけがない。でなければわざと『兵器』という言葉を敬遠することはなかった。 それ一つが小さな都市ほどの巨大さを誇る、その武器は、名を「ストーンヘンジ」といった。
宇宙から落ちてくる星の中で、人が絶滅することを避けるために作られたものだった。 「…私たちは己の安眠をとった。それだけのことです」 「自分たちが安眠するために人を殺したと?」
「そう。あなたがたが作った兵器が、私たち以外の誰かに占拠されることを恐れた。それならばやることはただ一つ。…そういうことです」 男は淡々と語っていた。突きつけられた現実を、否定する力のほとんどない開発者たちに哀れみの表情を浮かべているように見えた。実際、事実の確認をするための声はあがっても、罵倒の声は上がらない。
「…戦争だな」 「ですが我々は、あなたがたの作った兵器のおかげで優位に立てている。…安心して眠れるというものだ」 その言葉に、開発チームの中で、唯一声を荒げていた男―――まだ年若い技術者が、ふざけるな、と呟いた。押し殺すような呟きは、はっきりと相手に聞こえたらしい。が、わざわざやりあう気はないのかそれ以上は何も言わなかった。
「あなたがたの待遇は今までとなんら変わりません。今まで通り、開発を進めていただいて結構。私どもはあなたがたの開発を高く評価しています。…これは、全世界の人間がそうだと思いますが」
その言葉に、チームの中の数人が安堵のため息をもらした。 今まで沈黙を守っていたチームの数人が、ぽつりぽつりと質問を始める。 「では我々は命の危険はないのかね、家族も含め」
「ありません。あなたがたは人類にとって有益な開発をしている方たちだ。一般の人間よりも、待遇はいいはずです」 はっきりとした答えが出た途端、辺りがどよめいた。結局この場にいる者たちは、皆自分の命が一番なのか。そう思うと、周囲の人々に侮蔑の視線を投げた。一人、静かに質問に答えて安心感を巧みに与えていく彼を睨んだ。
それからも、ぽつぽつと質問が続いた。男は、全ての問いに即答していた。迷う必要がないのだろう。開発チームの人間は、誰一人として殺さない。そう上官にでも言われているのだろうことがうかがわれた。
そうやって、質問をする人間が増えていくにつれ、それぞれに安心感のようなものが生まれたようだった。空気が溶けていくのを、許せないと思っていたのは、自分だけなのか。
「何か、質問は」 向けられた言葉に、彼は拳を握った。辺りはすっかりいつものようなにぎやかさを取り戻し始めている。余裕ある笑みは、まるで張り付いているようにも見えた。
「…そしてまた、新しく私たちの作ったものを武器として扱うつもりか?」 拳を握りしめて、押し殺した声で問うた。 全員、それを予感しているはずで、当然予想されるべき事態でもある。決してこんな風に、自分たちが生きていられることに安堵すべきではない。わかっているはずだ。
自分たちが人々の安眠のために作ったそれは、たしかに兵器と呼ぶものだ。レールガンを基本として作った、小都市ほどの巨大兵器。 今新しく着手しているものも、きっと彼らはずるく賢く使う気なのだ。
だが、軍人である彼は笑った。まるでこちらの言いたいことなど理解していない笑顔だ。 「あなたは人々の安全のために日夜、開発をすすめていると言った。我々は、あなたの言う『人々』ではないと?」
その言葉に、チームの全員がまた沈黙した。 たしかに、今ここを占拠したエルジア軍の人々も含めて全ての人間を、守るためのプロジェクトではある。そう言われれば言葉も出ない。だがその言葉は、あまりにも彼の問いを肯定しているように聞こえた。
彼らは、時が来れば使うかもしれない。 自分たちの作っている、新しい兵器。 それは、名を「メガリス」という。 迎え撃つのではなく、予定にあわせて星を落とすためのもの。その施設。
食堂に入れば、空席が目立った。食事に遅れているのではない。もう二度と、その席を埋めることが出来ない人間の穴だった。
仲間と共に、用意された席に座る。自然と俯いていた。 どこからか、絞るような声が聞こえる。 「…くそっ…。あれは、俺達を守るものではなかったのか…」
何人死んだとか、考えるのは億劫だった。数えるほど暇ではないし、それくらいならば身体を休めなければならない。ただ、言葉に出来ない怒りがあるのもたしかだった。
「…俺達は何に怒りを向ければいいんだろうな」 無意識にぽつりと呟いた。連合軍と呼べば聞こえはいい寄せ集めの軍隊の中、唯一同じサインコールを持つ友人は、その問いに首を振った。
答えなど誰にもわからない。 同じパイロットにやられたのではないのが、無性に嫌だった。 どれだけ悔やんでも、悲しんでも、腹は減る。時間が経てば眠気もやってくる。そしてまた、空を飛ばなければならない。結局自分はいつものように生きていかねばならない。
死を悲しむ余裕などどこにもない。 「黄色中隊にストーンヘンジか。…最悪だな」 仲間の空席は埋まらない。これからも埋まらないし、増えていく一方だろう。
黄色中隊の名に、知らずに身体が震えた。 「…どうした」 「…いや。…奴等なら死んだりしないのかってな」 5機編成で、綺麗に並んでやってくる。一糸乱れることなく戦闘空域に入ってくる、あの姿は、ストーンヘンジとは違う恐怖があった。
「…俺達とは違うんだろうからな。腕も、性能も」 スプーンをもてあそびながら、一つため息をついた。友人の言葉には、現状をどうにも出来ない苛立ちが見えた。
「性能か…」 「あっちはSu-37だからな。こっちがのろのろやってるうちに、回り込まれてドカンだ」 何もかもが向こうよりずっと劣っている。制空権もない。機体性能も決してよくない。そして何より、自分たちの腕が黄色中隊の誰にも及ばない。
考えるほどにため息をつくばかりだった。 「ストーンヘンジはともかく。おまえ黄色中隊深追いしようとするなよ」 友人の言葉に、ちらりとそちらに視線をくれる。
「…しないよ」 「嘘つけ」 すっぱりと看破されて、困ったように苦笑すれば、友人は少し怒ったような顔をしていた。 真剣な表情だ。
「何人か逃がすためにベースと反対に飛んだだろうが」 「…あれはたまたま」 たしかに、黄色中隊めがけて飛んだ。近づくのは自殺行為だと思いながら、その機動力を見てみたかったのだ。スカイアイから、帰還しろと叫ばれるほどなのか、どうしても気になった。やりあうつもりはなかったから、違反だと言われてもどうにかなると思ったのだ。
結果的には、ロックオンされていた仲間たちを救った形になっていた。もちろん自分にはそんなつもりは欠片もなかったけれど。 あの後、5機全員に後ろにつかれてアラートが鳴り止まなかったことを覚えている。冷や汗ばかりが流れて、息をするのも辛かった。
「よく生きて戻れたもんだと言ってたぞ」 「…運がいいんだろ、俺は」 「その運、無駄遣いするなよ」 これからも、制空権のない場所での戦いが続く。ストーンヘンジは必ず自分たちの脅威となって現れるはずだった。それから、黄色中隊も。
「何人死んだ?」 「詳しいことはわかりませんね」 どれだけ問い詰めたところで、これ以上の答えは得られなかった。何という名前の、どんなパイロットだったかもわからない。
ただわかっているのは、その中にもしかしたら英雄になるべき人間がいたかもしれないと。それだけだ。そういった人々の可能性を押し潰した。ストーンヘンジが。
自分は相変わらずこの施設の中で、戦況を聞き出すしか出来ない。 「…そんなことを知ってどうするつもりです?」 「知りたいと思うのは悪いことか」
「ええ。そんなことを気にする時間があるのなら、是非開発を進めていただきたい」 彼の言葉に、唐突に殴りつけたい衝動に駆られたが、それを寸でのところで引き止めた。腕力では勝てるはずがないのだ。
男は、少尉だった。大した地位ではなかったが、言葉の使い方が上手いらしい。自分以外の人間は、決して彼に逆らうことはしなかった。それはいっそ、洗脳でもしたのではないかと思わされるほど。
「……」 開発は、日夜すすめられている。形だけならばもう出来たも同然だった。テストなどは対象が隕石や衛星である以上、そう簡単に出来るわけもなく。それを机上の計算のみで埋め合わせている。それはもちろん、ストーンヘンジも同じようなものだった。
「あなた方は感傷的になる必要などないのですよ」 「どういう意味だ」 いかつい身体をした男は、表情を一つも動かさない。そういうものが必要ないのかもしれない。軍人という人種には。
「あれは隕石であったと思えばいい」 酷くあっさりと言いきる男に、目眩がした。意志を持って飛んでいたパイロットたちを全て、石の塊と思えと言うのだろうか。そんなことが、出来るはずがない。
「最悪だ…!!」 「大して変わりません。あれは敵だ。地上に落ちてくる隕石も、人類の敵です」 「人格を無視しろというわけか、さすがに軍隊らしいことを!!」
声はどんどん上擦っていった。心臓の音がうるさい。頭が痛くなるほど男を睨んでも、彼はやはり顔色一つ変えることはなかった。 「他の方々は、皆そう思っていますよ」
「一緒にするな!!」 吐き気がした。どれだけ語っても、彼の言うことは理解が出来ない。命をなんとも思っていないのか。所詮敵のパイロットの命など、どうでもいいということか。
気がついた時には、彼をなぐっていた。だがそれは、決してうまい殴り方ではなかった。 「一緒にするな…!!」 声は震えていた。殴った拳が痛い。やはり自分が殴った程度では、ぴくりともしない。そもそも殴り方を知らない。熱が、指先へ降りていく。感情だけが昂ぶっている。
何人死んだのだろうか。一瞬で消えただろうか。痛みはなかったか。声は。 ―――彼らは誰を怨むのだろう。 それでも、どこか現実味がないのは、この目でその瞬間を見ていないからかもしれない。
(最悪だ…) 苛立つのは周りの人間のせいではない。 ストーンヘンジが最初に破壊したのが、隕石でもなんでもなく、ただの人間であったと、それを信じたくない自分がいる。けれど、確実に連合軍のパイロットたちは死に、消えていく。
それすらも、リアルに感じられない。 ストーンヘンジのせいで誰かが死んだなどと、信じたくない。 「これは戦争ですから。…私たちエルジア軍にも、被害はあった。何人もすでに死んでいる。あなたが問題としているのは、ストーンヘンジで死んだ人間の数でしょうが」
「……ストーンヘンジは兵器ではない」 「引き金にはなりましたがね」 それだけ言うと、男は殴られた頬を撫でながら、部屋を出ていった。
薄暗い部屋の中で一人、目の前にはメガリスの実用に必要なデータたちが散乱している。 「…くそっ」 机に拳を叩き付けた。痛みはそこにばかり集中していて、決して心にはない。
死んだ人間の名前もわからない。何人死んだかもわからない。 ストーンヘンジが引き金になった戦いだと、認めたくないとそればかり考えている。
怖いのは、人々になんと罵られるか。そればかりだ。 だから、涙もない。 彼の言葉に怒りを覚えたのは、どこかでそう思いかけている自分がいるからかもしれない。図星を当てられて、だけどそれを認めたくなくて、どうしようもならなくて。
駄目だと思う。何もかもがおかしいと思う。だけどそれ以上、進むこともできない。
どれだけ戦場に出ただろうか。ふと考えれば、周囲の入れ替わりの激しい中、自分だけは必ず帰還した。メビウスのマークの入った機体だけは、いつも戻ってくる。
気がつけば、周囲からは奇跡だの幸運だのという浮かれた言葉が浴びせ掛けられるようになった。 「幸運か」 「不満そうだな」 何もかもが劣勢の中で、自分が―――自分の機体が、彼らの希望の欠片になっている。
それを、プレッシャーだとは感じない。元々自分はプレッシャーには強い。むしろ歯を食いしばって踏ん張らなければならないような、そんな局面の方が強い。
「…いや…人格無視されそうだからかな」 「…まぁ、仕方ないさ。負けて当然と思われた戦争だったからな。たしかにおまえが全部、道を切り開いている」
英雄だと言う奴がちらほらと現れている。そういうことを言う輩は、全員何か違うものを見ているような眼差しを向けてきた。 メビウス1に乗り続けてどれくらい経っただろうか。ストーンヘンジからの攻撃は、必ずスカイアイから通信が入って、着弾のタイミングを知らせてくれる。目の前の目標にばかり気をとられずに、通信にも耳を傾けるように努めれば、うまく避けることは可能だ。
背後に敵につかれても、素早く旋回してその場を切り抜けることが出来れば生き延びることは出来る。 「…そんなに大層なことはしてない…が」 「おまえ自分が撃墜数いくつか知らないだろう」
苦笑する友人に、眉を顰めた。たしかに自分の撃墜数は知らない。敵をどれだけ撃墜したかより、生きて帰る方が重要だから興味がなかった。 「撃墜数、おまえ一人で飛びぬけてるんだよ」
「………」 撃墜数なんて所詮、人を殺した数でしかない。 それでも、英雄と呼ばれるのかと、少し気分が悪かった。そういう時代でそういう場所にいるのだから、そんなことは疑問に思ってはいけないのかもしれない。
「…何してるんだ?」 友人の言葉にはこたえなかった。祈るような眼差しで、廊下の窓から空を見上げる。十字も切らない。手を合わせることもない。
「祈った」 「…神にか?」 「もっと具体的なものにだ」 神はこの世界にいはしない。そんなものは人間が作り出した偶像にすぎない。
そんなものに祈る暇はない。だから、祈る対象はもっとはっきりしていた。 自分を作り出した人たちに。
普段は必要最低限のことしか話さない、開発チームの中でも中心にいる男が部屋にやってきた。
データの集積はすでに十分だったが、それを軍に引き渡すことを恐れて、なかなかメガリスは完成しない。だが、それでいいと思っていた。 最近は周囲の人間と口をきく機会も減っていた。洗脳されたようにただ奴等の言いなりに開発を続けているチームの仲間たちを見ているのは辛かった。だからといって、逃げ出すことは考えられなかった。だから、部屋にいればいつでもぼんやりとしている。
その時もどうせ暇だったから、親しくないその男―――上司にあたる。その人物を丁重に招き入れた。 「…何か?」 部屋に入り、まず最初に彼は辺りを確認した。何かを警戒している顔だった。周囲を念入りに見渡した後、安心したように一つ息をつくと、彼はあまり大きくない声で呟いた。
「…殴ったそうだな。少尉を」 「……誰から?」 「たまたま見ていた奴がいただけだ」 彼の髪はすでに色が抜け落ちている。決して美味しくはないコーヒーを渡すと、皺のよった手でカップを受け取った。
「別に君に対する処罰があるわけでもない。彼らのような男と私どもの腕力では、びくともせんかったろう」 「…そうですね」 彼が何を言いたいのかよくわからず、探るようにうなずいた。
同意の言葉にうなずき、彼はコーヒーから目を離した。その視線の先には、メガリスのデータが散らばっている。 「…君は優秀だ」 「……光栄です」
「その年齢で、ストーンヘンジとメガリスの開発に携わった。君はこれからの時代に必要な人材だ」 ますます彼の言いたいことがよくわからなかった。
自分の年齢はたしかに若い。が、だからといって突出して若いわけではない。各チームに何人か、若い人材はいる。年をとった研究者たちだけではあんな紙一重の武器は作らなかったはずだ。いくら人々のためとはいっても。
だが、今それを改めて口にする必要性は感じられなかった。 「まず…私たちは君に感謝せねばならん」 「…私たち、ですか?」 「そう。…開発チーム全員が、だ」
そう言って、彼はコーヒーを飲み干した。ありがとう、とどちらに対する礼か判別しずらい声で告げる。 「君がいなければ、今回の計画はうまくいかなかった」
ふと、彼の手にしたコーヒーカップの下に、なにかが挟まっているのが見えた。慌てて彼を見上げれば、少し疲れたような表情の奥に、それでも希望を失っていない力を感じて言葉を失う。
「だから、頑張ろう。あと少しだ」 何かを告げる前に、彼は部屋を出ていった。しばらく彼が出ていったドアの方を見つめる。 どういう意味で彼がその言葉を口にしたのか、考えるよりも早くメモを見た。
誰もいなかったが、メモは白衣のポケットに押し込まれた。 ―――明日
亡命のために、ここから逃げる。
「…特別任務ですか」 その言葉に、上官はうなずいた。拒否権はない。 選ばれたのは、ただ一人。メビウス1だけだった。
「彼らはこの大陸の人間の全てに必要な人間だ」 示された青い地図と、状況の説明。それ以上は特に必要はなかった。 作戦内容は実に簡単で、なおかつ実に難しいものだった。
「…了解」 ストーンヘンジの開発者たちとその家族を乗せた飛行機2機。うち1機は何かのトラブルのために高度を下げている。亡命を阻止しようとしているエルジア軍の敵全ての撃墜と、護衛。
言葉少なにうなずいて、司令室を出た。時間はない。 出来るか出来ないか、ということは考えなかった。
外を見せるな、と誰かが言っている。
スチュワーデスたちが不安がる乗客―――開発チームの面々に優しい言葉をかける。 彼女たちも不安だろうに、大したものだと、やけに呑気にそんな光景を眺めた。
「落ち着いているな」 声をかけてきたのは、隣に座っていた―――上司にあたる、彼がぽつりと呟いた。 彼はちらちらと窓から見える空を気にしている。貧乏ゆすりも止まらないようだった。顔を覗けば、顔色もよくない。
「……私は、特に失うものがありませんから」 「だが、自分の命がある。そうだろう」 彼は、後ろの席に婦人と娘を連れているようだった。そして彼の言う通り、失うとしたら自分の命のみだ。
「…割り切っているということか?」 「…ストーンヘンジで、死んだ人間が大勢いる。彼らのことや…彼らの家族や、それから、戦争の被害に遭っている人々のことを考えると…そういう人たちの、非難の声の方が、私は怖いです」
結局自分は、何かを作っていなければ自分を保てないのかもしれない。 そしてそのために、なにかを作るための地位を失うのが、何よりも怖い。自分が作ったものは、それはもう子供のようなもので、だからそれを非難されるのは恐ろしい。
上司の向こう側から見える外の景色は、空は遠く地上がやけに近く感じられた。 それから、時折見える敵機の翼。 「…なるほど…。君は、たしかに今の仕事が天職なわけだ」
「……そうですね」 苦笑してうなずいた。やはり自分は酷く落ち着いている。高度は低い。山間部を飛ぶにしては、酷く空が遠かった。トラブルがあったらしいことは知っている。けれどこのままいけば、墜落するような最悪の事態にはならないと、誰かが言っていた。
それが事実ならばいいと考えながら、ふと再び窓の外を眺めた。 その時。 「…リボン持ちがいるぞ!?」 どこかから、素っ頓狂な声が聞こえてきた。声の主の方へ、全員が振り返る。それから、窓の外を。
「リボン…ってなんですか?」 周囲が突然わいた。何が起こったのかわからない。中にはもう大丈夫だと涙ぐむ人間もいた。 相変わらず敵機は周囲からこちらを狙っているし、高度は低いままだというのに。
「知らんのか!?ISAFのエースだ」 「…ISAFの?」 連合軍のことを、ISAFということは知っていた。言われてみれば、何度か誰かの口から聞いたかもしれない。必ず、帰還してくるパイロットのことだったはずだ。
途端に、近くで爆音が聞こえた。思わず身を竦めた。そして。 窓から見える、敵機の撃墜されていく姿。その後を、素早く旋回していく姿。その翼には、ISAFのマークと、それからもう一つ。螺旋を模したマークが見えた。リボンと呼ばれる原因となった、そのマークが一瞬閃くように視界を横切った。
「…リボン…!!」 速い。 狭い窓からでは限りがあったが、彼が複数の敵機と、たった一人で渡り合う姿を見た。あまりのことに、言葉はもう意味すら成さなかった。あれは。あの機体は。
窓から見える限りの外を、必死に追いかけた。まるで生き物のようにすら感じられる。敵機も手強いはずだ。たった一人で戦っている。味方は一人もいない。 「…彼は私たちを…」
「そのようだ…あぁ、神よ…!」 しかし、リボンのマークをつけた機体は、無駄な動き一つせずに敵を蹴散らしていた。背後に消えていく敵機の確認などはしない。ただひたすらに素早く、目標に向かって飛んでゆく。
迷いのない姿に、目眩すらした。 「…凄い」 さすがだと思った。少しずつ記憶の片隅においやられていた連合軍の噂を思い出す。 寄せ集めの軍隊で、敗戦は濃厚。いや、もうストーンヘンジを占拠された時点で制空権はなく、勢いに乗ったエルジア軍を叩けるほどの力はなかった。
その中で、仲間たちからエースと呼ばれる男が今、目前で、自分たちを救うために戦っている。 震えが全身を走った。途端に、恐怖で首を絞められたような気分に陥る。
「…この飛行機は…墜落はしないんですよね」 「何事もなければしないと言っていたな」 たった一人で二機の旅客機を救おうという、その目眩すらする状況に、唇をかんだ。
握り締めた拳からはすっかり血の気が失われている。 「………」 彼はエースだ。英雄になるべき存在だ。 突然、何の前触れもなくそう思った。空を切るような素早い動きに、ひたすらにそう思う。
だから、自分たちの乗るこの旅客機が、墜ちることはあってはならないのだ。 (…早く着け…!!) 命が惜しいとか、そんなことではなかった。その時は、死んだ人間の呪うような声も、予想される非難の声も、聞こえなかった。
指先から血の気を失うほどに願ったのは、彼の命だ。 生きて、そして何とか、彼にコンタクトをとりたい。そればかりを考えた。
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