read my lips2


 赤騎士団長のカミューが怪我をしたという噂は、尾ひれもついて一気にロックアックスを駆け巡った。
 噂というのは恐ろしい。それを体感してマイクロトフは自室の扉にもたれてため息をついた。その噂のおかげでマイクロトフは道行く人々によく声をかけられ、ただでさえ適当なことを言って逃げるということができない彼は、ずるずると聞かれるままに真実を話し、妙な尾ひれのついた噂を必死になって訂正してまわったのだった。
 こういうことはいつもならカミューの役割である。
 よくこんなことを苦もなくやれるものだと改めて感心したのもつかの間、思い出すとじわじわと怒りが込み上げてきた。
(どうして俺がこんなことをせねばならんのだ!)
 疲れもあいまって思わずマイクロトフは騎士服を脱ぎながら壁に拳を打ち付ける。
 まず最初は赤騎士に。その後は噂を聞いて駆けつけてきたらしい青騎士たちに。そして白騎士たちや、街の人間や、カミューを慕う女性たちに。
 噂の中にはすでにカミューが死んだというとんでもないものまであった。
 本当は、耳が聞こえなくなっただけ。どんなに叫んでも大きな音をたててもカミューにはそれらが届かないだけだ。
 それをどこでどう間違って「死んだ」ということにまでなったのか。噂というものの威力を知った一日に、思い返して再度ため息をついた。
 騎士服を脱ぎ捨てて、身軽になったところでマイクロトフはベッドに倒れ込む。
 とにかくさっさと寝てしまいたい、とかたく瞼を閉じて意識を手放そうとしたが、ふとゴルドーとの会話を思い出して薄く瞼を開く。その表情は苦々しい。
―――耳が聞こえなくなった、か。
 出来ればあのやり取りは思い出したくなかった。思わず舌打ちしたが、一度思い出してしまったものは際限もなく後から後から脳裏によみがえる。
 今までは慌ただしくてそれどころではなかったから思い出すどころではなかったのだ。
―――で、それは治るものか。
 厳しい声音で問われた言葉に、マイクロトフはどう答えることも出来なかった。
 詳しいことはよくわからない。騎士団という性質もあいまってこの地には医者が多い。だが耳が聞こえなくなるなどということはそうそう起こるものではない。思い起こせば医者は、耳について詳しい説明を避けていたのではないだろうか。
―――…詳しいことはわかりません。
 それだけを伝えると、カミューの心配をするよりも先にゴルドーはあっさりと言い放った。
―――駄目なら駄目で新しい赤騎士団長を選出するまでだ。
 白騎士団長としてこのマチルダ騎士団を纏める人間としてそれは当然の発言だ。
 それが治らないものならばいつまでも耳に障害のあるカミューを赤騎士団長として据えるのはおかしい。
 頭ではそう理解しても、マイクロトフの中にあるわだかまりは大きくなるばかりだった。
 報告にも別段驚く風もなく。結局ゴルドーは終始面白くなさそうにしていただけだった。
 それはいつものことでもあるのだが、マイクロトフの心に波風が立つのは仕方のないことだ。実に、ゴルドーと自分はそりが合わない。結局その場から、怒りも露に飛び出したのだが。
(カミューが騎士団長を降りる?)
 もしこのまま耳が聞こえないままで、それが一生そうなのであればそれは免れようがない。
 そのハンデを背負って騎士を続けることは不可能だ。
 だがマイクロトフにはまるで想像がつかなかった。
(…もし騎士団をやめるとしたら…カミューはロックアックスには残らないだろうな)
 元々この地で生まれたわけではないのだからそれは当然のことのように思えた。
 グラスランドという、遠い草原の地からカミューは来たのだ。
 騎士団を去ることになれば、きっとカミューはあっさりといなくなるだろう。何の未練も残さずに。
 何かに執着している素振りを、出会ってこのかた見たことがない。
―――だからこそ。
 そう思った。だが同時に、やはり騎士団長を降りるカミューが想像できずに寝返りを打つ。
 疲れているのだから寝てしまえと思ったが、だが眠る気には到底なれそうもなかった。
 そうしてしばらくベッドで寝返りを打ちながら過ごしていると、突然扉がノックされた。
「!?」
 慌てて身体を起こす。その扉のノックの仕方で、それが誰かがわかった。
「…カミュー?」
 名を呼んだところで聞こえないのだが。それでも先日の件もあって疎遠になっていただけに思わず呼んだ名前にこもった感情はいっそ懐かしさに近かった。
「悪いんだけどソファ借りてもいいかな」
 扉を開けた途端、カミューは滑り込むようにして部屋に入った。
 こちらのことなど構いもせずに入り込む。
 その手には毛布と、メモ帳とペンと―――ユーライアが握られていた。
 妙な取り合わせにマイクロトフは眉をひそめる。
「お、おいカミュー…」
 そのまま彼を見ていれば、突然ソファに寝転がった。どうやらそこで寝る気らしい。持ち込んだ毛布を見ればそれはわかるのだが、それにしても説明が一つもないのはさすがに理不尽だ。
「ああ、そうだマイクロトフ。私に何か言いたいことがあるのならそこ、そのメモに適当に書いておいて」
 手渡されたメモ帳はいつもカミューが仕事などでつかっているものだ。
 そんなことに気をとられていると、カミューは早々に毛布にくるまってしまった。
「おいカミュー!どうしてここで寝るんだ!」
 言葉はむなしく宙に消えた。のうのうと眠るカミューに怒りすら感じながら、マイクロトフはその怒りをぶつけるようにペンを走らせた。
 眠るカミューの身体を揺さ振って、無理に起こす。少し不機嫌そうなカミューの鼻先にメモを差し出すとマイクロトフは仁王立ちになってその答えを待った。
「…まぁ簡単に言うと、ちょっと怖くてね…」
 そう言うと、カミューは渡されたメモをマイクロトフに返した。
 その口調は酷くつまらなさそうで、とても不機嫌そうなのだが。
 マイクロトフはそう言われてどうしていいかわからない気分になった。
 耳の聞こえなくなったそのことが、怖くないわけがない。

―――……不便だけどね。…怖い、っていうのは…どうかな

 あの言葉が、たとえば嘘だとか、なぜそう思わなかったのかと。
 マイクロトフが顔を上げれば、カミューはこちらを見て肩を竦めた。
「それだけ?」
 声で伝わらないのはわかっている。だからマイクロトフはオーバーなほどに何度も頷いた。
 何故だか嬉しいような、複雑な気持ちになった。



 翌日、マイクロトフが廊下を歩いていると、何人かの白騎士たちとまざって赤騎士と、そして青騎士の者が語らっている光景を目にした。
「………」
 それは実に珍しい光景だった。白騎士たちは赤や青より位が高い。いわば騎士たちの中でもエリートに値する。
 彼らはプライドが高く赤や青より閉鎖的で、普段同じように語らう姿など見ることはないのだが。
 思わず立ち止まってその光景を眺めていると、その中の一人がこちらに気がついた。
 すると慌てたように彼らは散り散りになる。青騎士や赤騎士はこちらに頭を下げたがやはり白騎士たちはこちらには目もくれずに去っていった。

 その奇妙な光景がやけに鮮やかに記憶に残った。

「…ふぅん、そんなことがあったんだ。珍しいね」
 夜中にマイクロトフの私室へやってきたカミューも、さすがに昼間は自室に戻っていた。
 事務処理に関しては問題がないからとすでに職務に戻っているらしい。
 それ以外は全て自分と、そして赤の副団長にまわされた。見習い騎士たちの訓練なども終え、今はとりあえず休憩中である。
 カミューはぼんやりとメモを見つめながら微かに笑った。
「……」
 その一瞬の笑顔に、マイクロトフは眉を顰める。
 彼がこういう風に笑った時というのは―――えてしてあまりいいことが起こらない。
 それはカミューが何かを見抜いているがゆえかもしれないが、マイクロトフにとってはその笑顔はあまり縁起のいいものではなかった。
「―――カミュー」
「ん?」
「―――ッ、ちょっと待て」
 そのまま会話を続けようとして、マイクロトフは思わず苦笑しながらメモに向かった。
 耳が聞こえなくなってから数日。
 その数日でカミューはだいぶその状態に慣れたようだった。
 呼べば返事をするのだ。それは彼いわく口の動きで察しているだけだという。
 だがそれは、今のようにこちらを見ていなくても発揮されるので思わず口を動かしかけてしまう。
 今日になってから何度目かしれないが、耳が、本当は聞こえているのではないかと疑ってしまう。きっカミューのこの状態を見れば誰もが頷いてくれるはずだ。
 『何を考えている?』とだけ書いたメモを差し出せば、カミューは困ったように頬杖をついた。
「いや別に。そんな珍しい光景が見れるなら私も外を出歩けばよかったと思っただけさ」
「本…」
「本当だよ?」
 こちらが真偽を確かめようと口を開けば、それよりも早く、読まれていたかのように先を越される。この微妙なタイミングに、マイクロトフは頭をかいた。
 声が聞こえているのではないかと思ってしまう一方で、今のようなタイミングで遮られるとやはり聞こえていないのだなと少し淋しくなる。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、突然廊下が騒がしくなった。
 それはあからさまに何かがあったのだと知れる足取りで。
 ノックも荒く執務室へ顔を出したのは、赤の従騎士だった。


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なんか…書き方がいつもと違いませんか(汗)。と、とりあえず、次回3で終わる予定です。
よかった長引かなくて!(とか今喜んでると後で痛い目みそうで怖い。がたがた)
難産でしたー3に続くための息継ぎみたいな話。うーん。