No,LastScene
 君以外はいらないんだ。君しかいないんだ。君だけがほしいから、だからずっとここにいる。


「なんだ、どうした?」
 授業は終わったというのに、速水はなかなか席を立とうとしない。いつもならすぐに舞あたりを誘って訓練だの仕事だのと精力的な彼にしては珍しかった。
 ふとその視線の先を追うと、速水の見ている先に、黒髪のポニーテールの少女がいた。
 大概は嫌悪をもって呼ばれる名を名乗る少女だ。
「うん、あぁ…舞ってさ、見てて飽きないなぁって思って」
 邪気もなく速水はあっさりと言った。いつもの緊張感のない笑顔で、実に毒気を抜かれる。
 速水と芝村舞は同じ士魂号に乗っている。そのせいではないだろうが、芝村の洗脳にひっかかっているような気が、瀬戸口にはした。
「…おまえさんって奴は」
「うん?」
「わざわざ芝村か?もっと可愛いお嬢さんはたくさんいるだろう?」
 茶化すように言うと、速水は肩を竦めた。
「うーん…うん、そうだね。でもなんだか舞のことが気になるんだ」
 始まっている、と思った。それは恋というやつで、そんなもののおかげで人は人生を狂わせる。この男も狂うな、と瀬戸口は無表情にそんなことを考えた。
 はじめて速水を見た時、あまりにもその雰囲気が戦場にそぐわなくてからかってみた。
 反応も実に普通で、内心苦笑したことを覚えている。
 この男はだから、染まらないのだと思っていた。このご時世にあっても、きっと速水厚志という男は ずっとこうなのだろう、と。
(…俺の目も節穴だな)
 見抜けなかったのか、それとも芝村がうまかったのか。
 そんなことはわからない。
 どちらにしろ彼はこれから普通でない人生を歩むのだろう。芝村に対する嫌悪がなかった時点で、珍しい存在ではあったのだが。
「…瀬戸口ってさ」
「んー一応俺の方がお兄さんなんだがな。…まぁ年齢なんてここでは大した問題じゃあないか」
「好きな子、いないの?」
 ふと真面目に問われて、瀬戸口は眉をひそめた。
 その質問には、もう何度か答えている。そのたびに同じことを繰り返し繰り返し、何度でも言ってきた。
「…東原」
「それは違うよね?」
 いつもの答えを返した瞬間。一瞬の間もなかった。素早く否定されて思わず面食らう。
「瀬戸口、いつもそう言うけど…なんだかそれは違うなぁって思うんだ。気のせいじゃないよね」
 言葉がなかった。声がうまく響かない。息をするのが苦しい気がした。
 速水の目が。その目が嘘を暴く。
 こんな思いを、だいぶ昔にしたような気がした。
「…俺が嘘をついてるって?」
 なんとか呟いた声は、だいぶ掠れていた。指の先が冷たくなっている気すらした。
 だが速水はそんな瀬戸口の状態には気づいていないようだ。
 相変わらずその視線の先には舞がいる。
「嘘っていうか…うーん。嘘でもないのかな。でも瀬戸口の視線の先にいるのは、もっと違う人だ」
 冷えていく指先と、息苦しさから瀬戸口は唇を噛み締める。
 だがやはり速水はそれには気づかない。
「もっと…うーん、全て、みたいな人」
 もしかして知っているのだろうか、と思った。
 この、芝村に嫌悪すらなかった男は、もしかして何も知らないふりをして、とぼけた顔をして全てを知っているのではないかと思った。
「……やめろ」
「あ、ごめん。なにか気にさわった?」
 低く掠れた声で、それ以上の介入を拒絶すると、速水は予想以上にあっさりとひいた。
 謝りながら、うかがうように覗き込まれた。
 その時見た、速水の瞳の色はやけに青くて目眩がした。

 ―――昔、その青をたたえている女がいた。

「顔色、悪いね。大丈夫?」
「……あぁ」
 冷えた指先はまるで暖まる気配がなかった。
 かろうじて呟く声はどれも掠れていた。肌に感じる空気すら冷たいような気がする。
 世界が青い。
「無理しない方がいいよ。ちょっと横になった方が…」
 速水が腕を引っ張った。立ち上がらせようとしたのだろう。だがそれも、まるで他人事のような気がした。
 触れられているその腕すらも凍えている。
「…いや、本当に大丈夫だ」
 これ以上速水の瞳を見ているのは怖かった。世界が青に染まる。早く離れなければと瀬戸口は、ぎこちなく速水の手を払う。
「すまんな。最近少々寝不足でね…」
 立ち上がり、少しずつ速水から離れる。机がぶつかったが構ってはいられなかった。
 机と椅子がぶつかる音が、やけに瀬戸口の耳に大きく届いた。
「少し寝てくるよ」
 一組の教室を、ふらふらしながら出ていく瀬戸口に、速水は励ますような明るい声音で言った。

「思いつめちゃ駄目だよ」

 昔、好きな女がいた。とても好きだった。全てだった。
 忘れない。忘れられない。今もいる。自分の中に確実にいる。あの青い瞳。
 痛かった。おさえる胸から、溢れるように痛みが引き出されて止まらない。
 いつまでたっても、止まない。
 助けは来ない。

 速水の言葉に、瀬戸口は弾かれたように笑った。
 そうするしか手段がなかった。
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えー…と。瀬戸口×壬生屋序章…(爆)。というか…うぐぐ。謎がいまいちわかっていない状態だったのでだーいぶ…適当。
氷月さんのイラストと、聴いていた曲に触発されました。「本命の君の愛以外はいらなくて」「一瞬の選択で全てをなくしても後悔は見せないで明るく負けて泣きましょう」だの。まわるまわる。ぐるぐる…(馬鹿)