なんだかおかしい、と思った。
柳生なんてものは結局噛ませ犬でしかなかった、ということだろうか。
だとしたら、なんて。 なんて愚かしさだろう、自分の生は。 目の前で、黄龍が咆哮した。
けれど恐怖も闘争心も沸き上がらない。
ただ、ぼんやりとそれを見あげた。
たとえ睨まれても、人間らしい恐怖、なんてものは見当たらなかった。
ただ繰り返す答えのでない問い。
「なぁ、翡翠ちゃん」
「……」
「なんなんやろう、ワイ」
この目の前の、黄龍のために一族が殺された。
こんな馬鹿らしい、現実味のない、化け物に。
柳生を殺すことだけを考えていた自分は、なんだったのだろう。
生きるためにやらねばならないことはたくさんあった。その中で、何度も挫けて立ち上がる気力すら失いかけた時に、思い出したのは柳生の顔だけだった。
時間が経つにつれ薄れていく記憶の中で、忘れることを許さないでずっと。十七年。
「…今はそんなことを考える時じゃない」
如月の声は、緊張したままだった。
目の前の化け物に気をのまれている。
あれが本来の人間らしい感覚だろうと、そう思う。
黄龍の咆哮は、地下を揺らした。交わすお互いの声すら聞こえない。
今まで自分は何をしてきたのだろう。柳生、柳生と呟きながら、いつか殺してやるとそればかり考えながら。 願いは、成就した。 なのにこの虚しさはなんだ?
たとえば、柳生が人の歩むべき時間という枠を超えていることくらいは知っていた。
だから、殺したときにその死体が残らないことも、どこかで納得している自分がいる。
殺してやる気だった。殺して、八つ裂きにして、首を斬って、思い知れ、と。
それなのに、彼は醜い死体を晒すことなく消えた。
時間を無視した生は、命の火が消えた瞬間に霧散した。
―――血の跡すら残っていない。
何もない。戦ったという記憶だけが残っている。殺した感触だけがまだ掌に残っている。
けれど、そんなものは時間が消してしまう。
それでは駄目だった。彼を殺したというたしかな証拠がなければ、納得できない。
死んだ一族の者たちが、納得しない。
だって、自分の愛した、柳生に殺された彼らは皆醜い死体を晒したのに。
どうしてそれが柳生にはないのだろう。柳生という男の、生自体を否定するかのように、まるで現実ではなかったのだというように。
ふざけるな、と思いながら、唇を噛む。
どれだけ噛んでも痛覚を感じない。青龍刀を握る指先に、どれだけ力を込めてもその感覚がうまく伝わらない。
「おい、劉!」
誰かが自分を呼んでいる声が聞こえた。
ぼんやりと視線だけ向ければ、そこにいたのは如月だった。
その慌てた様子に、首を傾げる。どうしたんだろうと思いながら、されるがままにしていれば、飛び込んできた如月が自分の身体を押し倒した。
途端に轟音が辺りに響く。
「…ッ、いい加減にしろ劉!!」
「…助けてくれたんか?」
ああ、どうせなら今の一撃で死ぬのもよかったかもしれない。―――と、そう呟きかけて、その言葉は如月の瞳を見た瞬間に消えていく。
「戦え!」
強い瞳だと思った。それはたとえば、自分がなくしたものを理解していない類の強さ、で、 いっそ傲慢に近い。
今の自分には、辛い強さだ。
「僕は戦わない奴が一番嫌いだ、戦える力があるなら戦うべきだろう!?」
心なんて二の次だと叫ぶ人がいる。それは彼が、そういう痛みを知らないからかもしれない。そうだ、そうでなければ「無」が好きな言葉だなんて言えるはずがない。
何もないことが、いいことなわけがない。あれだけしがらみの多い人間のくせに、その怖さも知らないのは、それだけ彼が温室で育ったからだと思っていた。
―――けれど。
「あんさんにはわからんわ…」
力なく呟くしか出来なかった。そしてはじめて、自分が酷くショックを受けているのだと気づく。
それが何に対するショックなのかはわからない。
また黄龍が咆哮をあげた。どこか悲鳴にも似た声のように感じられて、視線だけでその化け物を追う。
「ああわからないね、わかってたまるか。君は君で僕は僕だ。君だって僕のことなんかわかってないだろう!?」
そうやって叫ぶ如月を、なんとなくおかしく思った。
面倒見のいいタイプの人間なのかもしれない。放っておけばいいのに、どうしてこの人はそうしないのだろう。
どうして、こんな、こんな風に。
「君は、龍脈を守る一族の最後の一人なんだろう!?」
こんな状態の自分に、こうも力強く訴えかけるのだろう。
そうしているうちに、また頭上から咆哮が聞こえた。
けれどそれは、むしろ断末魔に近いもので、そう思った瞬間、その巨大な龍の身体が歪む。
それは、柳生の時と同じように。
それを見つめながら、ぼんやりと思う。
自分はこれからどうすればいいんだろう、と。
何をするべきか、どうするべきか、そういったことが全く見えない。
そうして、その場の全員が歓声を上げる中、自分の道を失って、声もなく呆然とするしかなかった。
十数年という長い時間の中、自分にあったのは、ただひたすらに呪うだけの言葉だったのかもしれない。
だとしたら、どうするべきなのだろう。
呪うべき相手はもういない。帰るべき場所ももう見つからない。
気がつくと、青龍刀を取り落としていた。はじめてその時、自分の手が震えていることを知る。
(…どう、するんや)
大切なものがなくなった、あの瞬間から、自分の中にあるのは空虚な穴だけになってしまった。
長い間、それだけを支えにして生きてきたのに、なくなってしまった。
それは普通の人から見れば、決して大切なものではないだろうけれど。
それでも、自分にとっては、生きていく糧、だったのだ。
笑うことも、力をつけることも、全て。 どうすれば、いいだろう。
|