還らない歌 |
龍麻が目を覚ましたから、もう安心していいと電話がかかってきたのは、明け方近くのことだった。 「さすが龍麻だな」 電話口で如月が、安堵したようにそう答えていた。その声音と言葉で、龍麻が無事だったことを知った劉は、己の剣を鞘から抜いた。 緩慢な動作で、ゆっくりとその刃の輝きを見つめる。一点の曇りもない。触れれば切れるような鋭い刃先は、見つめていると鳥肌のたつようなものだった。 それから、瞼を閉じる。思い出すべき記憶は、龍麻が柳生に斬られる瞬間。奴の動き。 突然現われて、龍麻が構えを取るよりも早く刀を振った。一太刀で龍麻の胸を抉るような傷を負わせた―――その力、スピード、技。 たとえばあれが自分だったらどうなっただろうか。自分は切っ先をかわせただろうか。反撃が出来ただろうか。 (…………) 何度かそうやって考えてみたが、答えはどれも同じだった。 「熱心だな」 どうあがこうが同じ答えにしか至らない。そう気づかされた劉は、ゆっくりと声の主の方を見た。 「……」 自分は今どんな顔をしていてどんな目をしているだろう。 殺すことしか考えていない狂気の目か、それとも絶望に打ちひしがれた暗い目か。 「龍麻は、無事に目を覚ましたそうだよ」 「………そか」 短く相づちを打つと、劉はもう一度、剣を見つめた。この剣の輝きは非の打ち所がないというのに、それなのに自分は―――。 「…いやんなるわ」 引きずられるように如月の家に連れ戻された。本当は戻るつもりはなかったが、如月がそれを許さなかった。あまりにしつこかったから、折れてここまで来たのだった。 後は、いつものように食事をしていた。いつものように風呂にも入った。 龍麻が斬られたことなど嘘のように普通の時間を過ごした。 そんな自分の甘さに腹が立った。どうしてあの時、折れたりしたのだろう。どうして食事をして風呂まで入ってそれでもなおここにいるのか。 「…とりあえず、今度見舞いに行こう」 如月は、劉の独り言は無視するつもりでいるようだった。終始こんな調子でいる劉相手にはそれしかないと思ったのかもしれない。 賢明だ、と思った。 「……冷静やな、翡翠ちゃん」 呟いた声は掠れていた。 ここに連れ戻されてから、はじめて如月に話しかけたことに、如月の表情でようやく気づく。 「…君を見ていたらね」 皮肉だろうとは思っても、心はついてこなかった。口元だけで笑う。その笑顔に、如月が眉を顰める。どんな表情なのか、自分にはわからない。如月の作る表情を見て、判断するしかなかった。 「なぁ、…頼み事が、あるんやけど」 如月の答えを待つよりも早く、劉は剣を振った。その殺気を感じ取って、如月もとっさに忍ばせていた短刀を抜く。 一瞬、火花が散った。 「…何を」 如月の押し殺した声には怒りがまざっていた。突然の攻撃では仕方のないことだろう。 射抜くような目でこちらを見ている如月に、劉は自然と笑いかけていた。 「ワイが。…ワイが柳生にとどめ刺されそうになったら」 「…劉?」 笑顔で、続けた。もっと真剣に頼まなければと思う反面、その笑顔は自然に流れて出てしまっていた。 如月の中で、怒りが霧散していくのがわかった。そしてそれを覆うように、戸惑っているのがわかる。 「その刀でワイのこと殺してくれんか」 「……馬鹿なことを!」 一瞬息をのんだ後、吐き捨てるように叫ぶ如月を、劉は微笑みながら見つめるしかなかった。 どれだけ詰め寄られても、怒鳴り散らされても、自分の中の決意は揺るがなかった。 その決意の強さが仄見えて、如月は刀を握り締めたまま踵を返す。 「頼むわ、翡翠ちゃん」 懇願するでもなく、ただ淡々と、そう言った。襖を開けて出ていこうとする如月に、劉はどこか絶望の感じられる声で呟いた。 「ワイやって死にとうない。けどどう考えたって無理なんや。あいつに、柳生にトドメ刺されるんだけは嫌なんや…!」 言葉はまるで矢のようだった。襖を開けたまま、如月は立ち尽くして動かない。 劉の言葉に、何も言えないまま、如月は開け放ったままの襖をそっと閉める。 「…ワイは、柳生を倒すことしか考えられへん」 「…僕だって自分の身を守るだけで精一杯だ」 ようやく返ってきた言葉は、劉の願いを撥ね付けるものだった。 叶えられるはずがない。振り返った如月の目はそう言っていた。 「ワイは柳生を殺したい。ズタズタに引き裂いても足らん」 柳生の名を出すと、劉の瞳の色が暗くなるようだった。思い出したくもない凄惨な過去が一緒になって蘇るからかもしれない。 「…けど、ワイの力じゃ無理や。…たぶん。どんなに考えても足らんのや。ワイの力が」 ゆっくりと、劉は剣を持っていない左の掌を強く握った。 認めたくない事実ではある。けれど認めなければいけない事だった。 「ワイは、柳生にだけは殺されとうない。そんなことされたら死んでも死にきれん」 「…僕は嫌だよ」 低く、如月はうめくようにそう告げる。 劉はやはりただ笑っているだけだった。いっそ、あの病院の屋上の切羽詰まった劉の方がよほどマシだと思えるような笑顔だった。 「頼むわ、ホンマ」 まるで子供の駄々のような頼み方だった。冗談なのではないかと思えるような、どこか現実離れしたもののようで、如月はぐっと唇を噛み締める。 「なんで、僕なんだ…!」 殺してくれと頼む相手が、なぜ自分なのだ。そばにいたからか、たまたまなのか。 如月は錯乱しかけている頭で、ただそればかりを思う。 だが、それに対する劉の答えは実にあっさりとしていた。 「…さぁ、なんでやろう」 たまらなかった。向けられた、半ばヤケの問いに、真剣に考え込む劉など見たくないのだ。 だが劉はそんな如月の様子などお構いなしである。 その仕草に、いてもたってもいられなくなって如月はまた叫んだ。 「僕はさっきも言ったはずだ!龍麻も君も死ぬのは嫌だって」 「だって無理やしそれは。…ワイは別にええんや。元々死ぬ気でここまで来たんやから」 聞きたいのはそんな言葉ではなかった。如月は必死に声を張り上げる。 「君だけだろう!?それでいいと思うのは!!」 はじめて見る類の表情だった。思いつめていたものが消えてしまったようだった。劉の表情は晴れやかでいっそ清々しさすら感じられた。 その、穏やかな表情の劉にこれほどの焦燥を感じる自分はなんなのだろう。 叫びながら、どこか冷静な頭で分析している自分がいる。。 「…まぁ、そうやろうな。けど被害は最小限に食い止めた方がええやろ。大丈夫や、ワイ、別に犬死にする気はないし」 止めるのが無理なのは、もう最初からわかっていたことだ。 むしろ止める気など、なかったはずなのに。 それなのに、口をついて出てくる言葉はそればかりで、如月はそんな自分に苛立って拳を卓袱台に叩きつけた。 「そん時は、その刀でトドメ、刺してな」 どんなつもりでそんなことを言っているのだろう。如月は俯いたまま、きつく唇を噛んだ。 鉄の味がしたが、そんなことは気にならない。 返す言葉も見つからないまま、如月はそのまま押し黙る。 「…あぁ、お日さん昇ってきたで」 こちらのことなど考えてもいないような、どこか遠い声で、ぽつりと劉はそう言った。 どうせ彼は、日の出の太陽を眩しげに見つめているのだろう。口元は少し綻んでいるのだろう。そんなものは、見なくてもわかった。 「…劉」 「ん?」 病院の屋上の時のあの張り詰めた空気が嘘だったのだろうか。廊下で待っていた時の、恐ろしいほどの殺気は嘘だったのだろうか。 そう思うような、なんの気負いもない声音だった。 だから如月は、ゆっくりと顔を上げた。 「………その時になったら、だ」 「…………ありがとさん」 だからもう、何も言わないと決めた。 元々自分には止められるだけの力はない。あんな暗い情念も知らないで生きてきたのだから、そういった人間の死ぬ気の強さを、受け止めてどうにか出来る人間ではないのだ。 そうは思っても、握り締めた拳の力を抜くことは出来なかった。 噛み締めた唇を開いて、それ以上の何かを言うことも出来なかった。 そして、ただ必死に自分の心を押し留めるように黙っていると、ふと耳に、聴き慣れない歌がきこえた。 とても小さな声だったから、うまく聞きとれなかったが、それは日本語ではなかった。 (…いいよ、やってやる) その馬鹿げた決意に乗ってやる。決して自分の得になることではない、その計画の片棒を担いでやる。 自分らしくない、と内心笑う。だがそれは、劉がこの家に住みついてからずっとだと気づいて、今更だと自嘲気味に笑った。 歌は、まだ続いている。 |
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今回は煮詰まってません。前回ので弾けたようです。そして途中で視点が交替しちゃってます。わぁ(汗)。なんつーか、煮詰り劉如(爆)のあたりから、書き方変になってませんか私(汗)。前こんな書き方したっけ…とちょっとおろおろしながら書いております。 ところで氷室さん、歌ってどうなのよ。これって相手が違う土地の人間だから出来る大技(笑)だと思うんですが、よりにもよって劉如でやるとは…(じゃどこでやる気だったのか)。 |
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