■■■■■■■■■■■■■■■■■■一つ屋根ので。■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 その日、如月の店に龍麻がやってきた。
 いつものように品物を物色して適当なものを買っていく。それはいつもと同じはずの一日だった。
「ところでさー如月。頼みがあるんだけど」
「なんだい?」
 龍麻に頼られているということが嬉しくもあったので、如月は身を乗り出した。
「うん、劉のことなんだけどさ」
「劉…?あぁ、あいつのことか」
 劉の名前が出た途端、如月の表情が曇った。あからさまな感情表現に龍麻は内心苦笑しながら続ける。
「面倒見てやってくれないかな」
「ぼ、僕が?なんで!」
「如月にだったら任せられるんだ。劉のこと。頼むよ如月」
 その言葉に、如月の中で微かに何かが変わる。それは龍麻が巧妙に仕掛けた罠のような言葉だったのだが、こういう面で単純に出来ているらしい如月はすっかり気をよくしたようだった。
「…し、仕方ないな。龍麻の頼みじゃあね…」
「ありがとう如月」
 人のよい穏やかな微笑みを返す。それも計算づくなのだが如月は気づく気配はない。
 買い物も済ませた龍麻は背伸びをしながら立ち上がった。
「んじゃ近々、劉と一緒に来るからその時はよろしくな」
「ああ」
 頷く如月に手を振って店を出る。戸を閉めた瞬間、龍麻の口元に浮かんだ笑みは今までの人のよい笑顔など微塵も感じさせない人の悪そうな笑顔だった。
(簡単な奴…)
 自分を崇拝するように好いてくれる人間を操ることは龍麻にとっては呼吸をするより楽だ。
 考えてみればまだ如月は自分の上っ面しか知らないだろうから仕方ないのかもしれないが。
 そしてふと龍麻は目を細めた。
(あいつもそれくらい簡単だったらよかったのにな)
 脳裏に浮かぶのは自分をアニキと呼んで慕ってくれる―――劉だった。
(…隠せてると思ってるのかねぇ)
 龍麻は知っている。劉のことを。暗い感情とか。そしてそれをうまく隠していることも。
 だけど劉はまだつめが甘い。自分のことをよく知らない。だから見破られていることも、たぶん知らないのだろう。
(黄龍様を怒らせると怖いよー…)


 そう、だから如月を使う。
 劉の心を開かせるために。


■1■


 如月の家に来て、早一週間が過ぎた。
 ようやくこうやって誰かと共に住むことに慣れてきたものの、気の張る毎日が続いている。それはたぶん如月自身もそうなのだろう。気配でわかる。
 例えば今も。寝ていないのだろう。布団に横にはなっているのだろうが、寝付けていないのが気配でわかる。
 劉は小さくため息をついた。
 龍麻も迷惑なことをしてくれる、と。
 公園生活をしていたのは身軽だからだ。誰に縛られることもない。住む場所があるということはその家の主に縛られるのだ。一つ屋根の下にいると。
 例えば。
 ―――龍麻をどう思っているのか、とか。
 そういう感情を隠していても知られてしまう可能性は高い。
 普段は巧妙に隠しているつもりでも、ふとした拍子に見られているかもしれない。
 そう思うと気が抜けない。
 もしかしたら龍麻自身がそれを狙ったのかもしれないと考えて、劉は目を細めた。
 が、そんなことは有り得ないと思い直す。
 騙されているはずだ。利用しようとしていることなど、気づいているはずがない。
 劉はゆっくりと布団から抜け出す。音をさせないように静かに廊下へ出ると、外の冷たい空気が直接肌に伝わってきて一瞬身震いをした。
(…あかんな)
 弱くなっている。寒さに。
 布団がある生活はやはり快適で身体もすぐに順応してしまったようだ。
 気をつけていたのに身体はすでにこの外の空気を寒いと感じてしまっている。
 公園生活ですっかり慣らしたはずだったのに。
 劉は小さく舌打ちして、泡立つ肌をさすった。
「…何してるんだ?」
「わ!な、なんやねん翡翠ちゃん、こんな時間に!」
「それは僕の台詞だ。この寒いときにそんな格好でいたら風邪をひくだろう」
「…平気や。ワイ公園生活長かったしなぁ」
 背後に如月がいたことに気づかなかった自分に今度は心の中で舌打ちする。
 さすが忍者の末裔とでも思っておけばいいのだろうか。
「そんなことはどうでもいいんだ。僕は龍麻に君を頼まれているんだから。…風邪などひかれたら僕が困る」
 そう言って如月は憮然とした様子でこちらを見ている。
 その様子があからさまに「仕方がないから面倒を見ている」といった風で、微かに笑えた。
 それもそのはずで、如月は劉の使う関西弁が嫌いなのだ。理由は知らないがそういうくだらない理由で嫌われている。
 嫌いなものと一緒にいたがらないのは人間誰しも同じことだ。
 極力短いつきあいで終わらせようとするから。
 だからある意味、気楽なのだ。この家にいることは。
「ワイのこと心配してくれてるん?ありがとな」
 得意の笑顔でそう言うと、劉はあっさりとその場を引いた。
 如月の監視するような視線を振り払って部屋に戻る。廊下にいた如月も、それを確認してから戻っていった。
 微かな足音だけで去っていったのを劉もその耳で確認する。
「……やりずらいわ、ほんま…」
 劉の呟きは誰に聞かれることもなく宙に消えた。


「うまそうなニオイやねー」
 夜更けにそんなこともあったが、すっかりそんなことを忘れた顔で劉は居間へ入る。
 食事の準備はすでに万端で、如月は劉の姿を確認すると突き出すように山盛りにもられた茶碗が渡される。
「いただきます」
 食事は食べれる時にとにかく食べておくべきだと、小さな頃自分はすでに一人で生きるための様々な手段を叩き込んでいる。
 だからなのか、それとも単に食べ盛りなのか、劉はたくさん食べる。
 それをどこか嬉しそうに如月が見ているのも知っている。
 如月自身はむしろ小食な方なので純粋に嬉しいのかもしれない。
 如月も今まで一人で食事をする機会の方が多かったのだろうし。
「翡翠ちゃん、ホンマ食わんねぇ。そんなんやからほっそいままなんやないの?」
「…君だって細いじゃないか」
「ワイは筋肉しっかりついとるもん」
 他愛のない会話を楽しみつつ。それでもその会話すらどこか白けたような気分でしている自分がいる。
「そういや翡翠ちゃん、今日も学校いかへんの?」
「ああ」
 如月は優等生のくせにほとんど学校にいかない。理由はいろいろあって例えば仕事が忙しいとか、気分が乗らないとかなのだが、思わず劉が心配したくなるほどだ。
 しかもいかないこと自体に罪悪感もないらしい。
 別にテストはきちんと点がとれるから、ぎりぎりの授業日数さえ受けていればいいとずいぶん舐めきったことを言っている。
 が、その理屈が通用するのはどうも自分だけらしい。
「ワイも面倒やなぁ。休んでまおうかなぁ」
 ぼやくように言うと、如月の表情が険しくなる。
「何言ってるんだ!君は留学生だという自覚はあるのかい?」
「んなこと言うたら翡翠ちゃんは受験生やないんか」
「僕はいいんだ!」
「それどういう理屈やねん…」
 自分は休んでもいいが他人は駄目、なんて言うその中途半端な道徳っぷりはなんなのだろうか、と思う。勉強がある程度出来るから授業を受ける必要はないと思い込んでいるのか。
 それとも自分は特別な一族の人間なので、授業なんてどうでもいいと思っているのか。
 だとしたらずいぶん馬鹿だと思いながら、劉はため息まじり立ちあがった。
「んじゃいってくるなー」
 どこに、とは言わなかったが如月は学校に行くのだと判断したようで、ようやく表情をゆるめた。
 微かに口が動いたようだったが、直前で思い出したように口をつぐんだ。
 そしてまた不機嫌な顔で頷く。視線の端にそれをとらえていた劉も内心、複雑な気持ちでそれを見ていた。
 外へ出てみれば、すごしやすい天候で、気持ちのいい秋晴れの空が広がっている。
 上の空でそれを眺めつつ、劉はため込んだ鬱憤のようなものを晴らす勢いでため息をついた。
 ―――慣れてきている。
 劉自身もそうだ。そして如月もそうだ。一週間、というのは長いようで短いようで、実に中途半端だ。だがそれでもお互いの存在に慣れてしまうには充分なのか。
 たとえば当たり前のように自分のために多く作られた食事を、当たり前のように作る如月とか、出かける時に声をかけるとか。
 はじめの頃はそれでも如月は不平たらたらに文句を言っていたのだ。
 気がつけば嬉しそうに食事する劉を見ている、とか。
 たぶん如月も気づいている。

(まずいなぁ…)
 自分の目的はただ一つでそれ以外はどうでもいいのだ。
 余計な感情なんてものはいらないのだ。切り離すべきものだ。
 家庭の温かさ、とか。


■ 2■


 劉が出ていく音を聞いてから、如月は大きなため息をついた。
 出かける、といった劉に対して、つい声をかけそうになってしまった。なんというつもりだったのか、今になってみれば恐ろしい。
(いってらっしゃい、とでも言うつもりだったのか僕は)
 劉が居候をはじめて一週間。たとえば劉はあまり夜寝つけていないことや出された食事はしっかり全部食べるとか、そういう劉についての無駄な知識が増えるにつけて如月は内心憂鬱になるばかりであった。
 龍麻も厄介なことを頼んでくれたものだと思う。
 断ればよかった、と今更ながに思う。だがさすがに今から龍麻との約束を反故するわけにもいかない。大人しくこの生活を続けるしかないのだが。
(慣れるべき、なのか)
 劉がいる生活を当たり前とするべきだろうか。それをするべきなのか如月には判断がつかない。
 困ったように如月は髪をかきあげた。
 気がつけば微かに関西弁への嫌悪も消えてきているようで、それがまた苛立つ心を手伝っているようだった。
 そんなことを考えていると、本当に一日中そればかりを考えてしまいそうで如月はもう一度ため息をつくと、自分の分の食事を手早く済ませて片付けに専念することにした。


 如月の家は骨董品を扱う店を経営している。それは先祖代々受け継がれた店で、現在の家の稼ぎはそこから来ている。
 元々珍しいものの多い店だが、最近龍麻たちが旧校舎で稼ぐ道具類が増え、店の中といわず蔵の方も、ものでいっぱいになってきている。
 それを整理しよう、と如月は店の方は閉めたまま、蔵へと向かった。
 日も当たらないかび臭い蔵は、古いもの特有の埃っぽさを含んだ空気が充満している。
 さてどこから手をつけるかと考えながら、如月は腕まくりをして奥へと進んだ。
 仲間たちの刀やそれ以外のものも並べられたそのあたりを片付けようと思ったところで、如月はふと劉がいつも使う青龍刀に目を留めた。
 そういえば劉に、はじめて刀を売った時。

「その刀、下取りに出さないのかい?」
 背中に背負われた青龍刀をそのままに新しいものを買おうとした劉に如月は不思議そうに尋ねた。
 だが劉はにこにこ笑ったままうなずいた。
「ああ、これはええんや。特別やから」
 特別、の意味がたとえばどういうものであるのか、如月はよく知らない。
 第一劉自身がどうして日本に来たのか、とかそういったことを聞いたことがない。
 如月から聞くということは基本的にしなかったし、劉も喋ろうとはしなかったから、そういうことはよく知らない。
 知っているのはくだらないことばかりだ。
(別に、だからどうだっていうんだ)
 嫌いな人間のことなど知りたくもない。
 そうは思うが、どこかがひっかかるような曇った気持ちのまま、如月はようやく蔵の中の整理をはじめた。


「劉―」
 遠くから声をかけられた。それ以前に知っている気配がすると思っていたが、それがようやく龍麻だと気づいたのは声をかけられてからだった。
「おっなんだか血色いいな!」
「なんやアニキ、どうしてこんなトコにおるん?」
 今はまだ普通ならば学校にいるような時間である。龍麻はきちんと制服も着ていて―――もちろん劉も制服は着ているが、龍麻の通う学校は新宿にある。場所が違いすぎた。
「んー、朝の出欠だけとって抜けてきた」
「なんや不良やなーアニキ」
「学校いかない如月とか行くフリして公園でぼーっとしてる劉には言われたくない台詞だなそれは!」
 豪快に笑う龍麻に劉もつられて笑った。
「同居生活一週間目だっけ?どうよ調子は」
 いつの間にか隣に座っている龍麻に、劉は微かに目を細めたがいつものように笑いながら答える。
「ようしてもらっとるで?」
「喧嘩してる?喧嘩」
 龍麻の言葉に、劉は眉を顰めた。
「…しとらんけど?」
「それってどっちが遠慮してんの?」
「…遠慮っ…て、なんでや」
 必要以上にうろたえている自分自身に、劉は内心舌打ちをした。
 これだから龍麻は苦手だ。
「別に。あんまり仲よさそうに見えなかったからさ、一つ夜屋根の下となったら喧嘩も増えるかなーと」
「…ワイ、居候やしー。家主怒らせたら出てけ言われてまうわ」
 言葉を一つ口に出すのに、酷く疲れた。
 当たり障りのない言葉を選んで、当たり障りのない人間を演じるのだ。
 それが、日本に来た時―――故郷を失った後から決めたこと。
「ふーん。出ていきたくないんだ?」
「―――アニキ、それ揚げ足どりやで。ワイはー…」
 うまく出てこない言葉とうまく動かない自分の頭に劉は困ったように笑うしかなかった。
 言葉が出てこないなら、笑ってごまかすのも一人で生きていくうちに身につけたことだ。
「ワイは、せっかくアニキに口聞いてもらったんやしー」
「義理堅いねーお兄さん嬉しい」
 その瞬間、風があたりの木々をざわめかせた。
 秋風はほんの少しだけ寒く感じる。それが、劉にとってはずいぶん冷たく感じられた。
「…なんやねん」
 ―――別に、なんとも思っていない。
 祈りにも似たように、念じるように、劉は心の中で何度もそう呟いた。


■ 3■


 夏が終わると日が沈むのが極端に早くなる。6時をまわる頃にはすっかり辺りは暗くなり見通しがきかなくなる。
 さすがにそれは暗い蔵にいてもわかったので、如月はようやく蔵の整理をやめることにした。続きは明日にでも、と考えながら出ていく。
 この膨大な量の骨董品の整理はいつ終わるか見当もつかない。
 実際だいぶ前から少しずつやっているが、一人では時間がかかる。たまに店に入り浸る連中にやらせたりするものの、手際がいいわけではないのでやはりかかる時間はたいして変わらない。
「お、翡翠ちゃん。どこいってたん?」
 突然声をかけられて、如月は驚いて振り返った。
 あまりの驚きように劉も驚いたようで、きょとんとしている。
「あ、あぁ。蔵の整理をしていた」
「へー。翡翠ちゃんもようやるなぁ。あんなデカい蔵、ワイやったらお手上げやわー」
 そう言われて、ふと気がつく。
(そう言えば劉に手伝ってもらったことってないんじゃないか?)
 手伝ってもらう気になればいつだって出来るのに、この一週間一度も手伝ってもらおうと思ったことがない。考えてみれば、劉といる生活というのに慣れるまで、生活するのが精一杯だったから当然といえば当然ではある。
 が、それは一度気になりだすと止まらないくらいの、不自然さのように思えた。
「…劉」
「ん?」
「―――…あ、いや」
 言葉をうまく選べずに、如月は会話を中断した。
 気持ち悪さが残ったが、どうにもならずに台所へ消える。
 その後ろ姿を見て、劉は肩を落とした。
 何を言われるのかと気を張っていたのだ。
 ―――それってどっちが遠慮してんの?
 龍麻の言葉が思い出される。
(どっちが…って、そら…)
 如月が。そう思いかけて我が身を振り返る。
 遠慮をしてるのは、たぶん。
(どっちもやなぁ…)
 他人と一つ屋根の下で同居、という生活に遠慮している。
(なんやろなぁ…不幸慣れ?)
 だから、明るい生活とかそういうものを手に入れると不安で怖くてつい遠慮してしまって。
 そこまで考えて、自然と顔が笑っている自分に気づく。
(なんや、幸せなんか、ワイ…)
 迷惑なことをしてくれたと思っているのも事実で、でも今の状態が幸せでもあって。
 中国にいた頃、姉の家に世話になっていた頃もたしかにこうやって他人と一つ屋根の下にいたのだ。でもそれは、大家族で一人増えたところで大して変わらないような、そんなところだったから。
「…はは」
 乾いた笑いとともに、劉は頭を激しく掻いた。
 照れくささが込み上げてきて、どうにもならない。むずかゆいような気分はしばらくおさまらず、劉はそこでしばらくぼんやりしつづけていた。


 台所で、いつもの通りに夕食を作っていた如月は、ふと包丁を持つ手を止めた。
(…どうして言わなかった?)
 自問自答しても答えはうまく出てこない。
 言えなかった言葉は、考えてみればあまりにも簡単で優しいものだった。
 今まで、何度となくやってくる村雨や壬生や、龍麻たちに手伝わせたことならある。
 それなのに、劉に「手伝ってくれ」と言うのは妙にためらわれた。
(居候なんだから、好きに使えばいいんだ)
 そう、頭ではわかっていてもどうにもならない。
 たぶん、何かきっかけがあればそれはあっさりと口に出来るのだろう。
 口にしてしまえば簡単すぎて笑ってしまうような些細な言葉。
 ふと、やかんが鳴った。けたたましいその音に思考が中断される。
「…あ」
 火を止めて。そういえば、とおそるおそる振り返る。
 いつもなら湯気が出ているはずの炊飯器が、火の気もなく静かにそこにあった。
「………不覚…」
 思わず脱力するのがわかった。ため息をつきながら如月は、炊飯器のボタンを押す。と、ピッという電子音がして、ようやく動き出した。
 これでは夕食はどう見積もっても一時間後だ、とか考えながら如月は、半分以上出来上がっているおかずを睨みつけた。


■ 4■


「まぁ翡翠ちゃんやて人間やしミスの一つや二つはするんやないの?そんな落ち込まんでもええで」
 食事の時間があと一時間は遅れると聞いて、劉は笑いながらそう言った。
「…おかずは、出来てるんだ」
 その笑顔をまともに見れずに、如月の視線が泳ぐ。
 今日はどうかしている。朝はそれなりに普通だったはずだ。普通に朝食をとって、劉が学校へ行って。
 学校へ行くときに、声をかけそうになって。
「……」
「何ぼんやり立ってるん?」
「え?」
 はじめて劉が龍麻に連れられてそれでも少ない荷物を片手にやってきた時は、そういえば関西弁が嫌いであることをはっきり口にしたりして、あからさまな態度もとっていたのだ。
 あの時の自分の、図々しいまでの勢いのようなものが削げ落とされている気がした。
「もうおかず出来てるんやろ?」
「あぁ」
「だったらこっち来ぃへん?かわええもん見せたるわ」
 手招きされて劉のすぐ前に座ると、そこにはダンボールがあって、その中で小さい生き物がまるくなっていた。
「…あぁ、ひよこか」
「ここらへんは野良猫多いみたいやねぇ。結構ひよちゃんピンチにさらされとるんやで」
 野良猫とかそういうものにあまり目を奪われることのない生活をしていたので、そう言われても如月にはいまいちピンと来なかった。
「…そうか?」
「そうやでー。おかげでひよちゃんも日々逞しくなっとるわ」
 ひよこが猫相手に逞しくなったといっても、たかがしれている。が、なんとなくそれを笑う気にはなれなくて、眠っているひよこをじっと眺めた。
「あ」
 しばらくそうしていると、突然劉が少し驚いたような声を出した。
 如月もその声につられて顔を上げる。
 と、思ったよりも近くに劉の顔があって、少しだけ息をすることを忘れた。
「あー、なんやワイらもう一週間、同じ家にいるけどここまで近くにいたのははじめてやね」
 たしかに、同じ家の中にはいても、こんなに接近することはなかったような気がする。
 ましてや二人で同じものをみることもしなかった。
「あぁ、だから…」
 ようやく、今までのわだかまりのようなものが溶けたような気がした。
「…だからぎくしゃくしてたのかもな」
 お互い遠慮して、でも同じ家の中にいるということは、一定の距離を保とうとすると無理が生まれて―――。
 無理に無理を重ねているだけだったのかもしれない。
「なぁ翡翠ちゃん。思ったんやけどな、ワイ」
「ん?」
「……ワイ、わりと翡翠ちゃんちでの生活気に入っとるみたいやで」
 照れくさそうにそう言って笑う劉に、如月はどう反応すればいいかわからないまま、視線を落とす。
 そこにはひよこが古布にくるまってまるくなっていて、それを見ながら如月は、いつもと変わらない口調で、静かに言った。
「そう言ってもらえるなら今度、蔵の掃除とかも手伝ってもらおうかな」
「えー翡翠ちゃん、それはあんまりやでー…」
 口に出して言ってみれば、今まで手伝ってもらった誰とも変わらない同じ文句を言われて、なんだかホッとした。
「嫌だって言うなら、他にもたくさんあるよ」
 やっと。やっといつもらしさが出せたと思って、如月は少し嬉しそうに笑った。
 それを見た劉も、頭を掻きながら笑う。
 幸せそうな、笑顔だと思った。

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長!!!(汗)元々は本にするために書いていたものです(爆)。劉は龍麻に対しても心開いてないだろうな、と。で、龍麻が如月を使って劉の心を開くように仕向ける話(笑)。なんで如月!?ってのは、また次の話。
 
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